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2015年8月28日金曜日

四天王寺は神社だった?

人文研究見聞録:四天王寺は神社だった?

大阪市天王寺区にある四天王寺は、聖徳太子によって建立された「日本で最初の国立の寺院」です。

しかし、現在の神社のシンボルとされている「鳥居」が建立されいるなど多くの謎が存在しています。

そうした謎をまとめて「四天王寺は神社だったのではないか?」という一つの仮説を立ててみました。

聖徳太子と神社

人文研究見聞録:四天王寺は神社だった?

日本史において聖徳太子は「日本仏教の祖」であるとされ、それが定説となっています。

しかし、大阪市の天王寺区には、「四天王寺七宮(してんのうじしちみや)」という聖徳太子の建てた神社群があります。

また、大阪市の中央区には、四天王寺の前身の「元四天王寺」とされる神社が2箇所あります。

聖徳太子が神社を建てたことは文献には残っていないものの、大阪市を巡ってみると こうした事実に遭遇します。

はたして聖徳太子は本当に仏教を推し進めた人物だったのでしょうか?

大日本佛法最初四天王寺(日本で最初の官寺)

人文研究見聞録:四天王寺は神社だった?

冒頭に説明した通り、四天王寺は聖徳太子によって建立された「日本で最初の国立の寺院」です。

それにもかかわらず「元四天王寺」を名乗る施設は両方とも「神社」となっています。

このことから、四天王寺は現在における「神社」であったという可能性があるのではないでしょうか?

四天王寺の鳥居の謎

人文研究見聞録:四天王寺は神社だった?

四天王寺には数多くの謎があります。

まず日本で最初に建立された寺院であるにもかかわらず、神社のシンボルである鳥居が設置されています。

ここがそもそも謎なのです。というのも、現在の形の鳥居は起源が未だに分かっていません

また、古い時代の鳥居は、古神道の形式に則って二本の柱に注連縄を張った形とされていたと思われます。

これは飛鳥時代以前に創建された神社を巡ってみると容易に発見できるでしょう(三輪山の大神神社などが有名)。

そして、記録上では四天王寺の鳥居こそ、現在の形の鳥居の中で最も古いものであると考えられています。

なぜなら、四天王寺のパンフレットにある「四天王寺創建時には木造鳥居があった」という情報が最も古いからです。

このことから、日本において現在の形の鳥居の起源は「四天王寺の鳥居」ではないかと考えられます。

しかし、何度も言いますが、四天王寺は「日本で最初に建立された国立の寺院」です。

なぜ、聖徳太子は日本で最初の寺院に鳥居を建てようと思ったのでしょうか?

四天王寺の本尊の謎

人文研究見聞録:四天王寺は神社だった?
飛鳥寺の飛鳥大仏(釈迦如来)

寺院に祀られる本尊として最もポピュラーな仏は「釈迦如来(しゃかにょらい)」です。

しかし、『日本書紀』によれば、聖徳太子が建てた寺院では本来 本尊とされるべき「釈迦如来」を一切祀っていません。

そもそも、四天王寺創建時の本尊は「丁未の乱」で戦勝を祈願した「四天王(してんのう)」です。

一方、蘇我馬子が建立した法興寺(飛鳥寺)で祀られた本尊が「釈迦如来(飛鳥大仏)」でした。

つまり、「釈迦如来」を本尊とする仏教を推し進めたのは聖徳太子では無く、蘇我馬子だったのではないでしょうか?

四天王とは?

人文研究見聞録:四天王寺は神社だった?
持国天
人文研究見聞録:四天王寺は神社だった?
増長天
人文研究見聞録:四天王寺は神社だった?
広目天
人文研究見聞録:四天王寺は神社だった?
多聞天

四天王(してんのう)とは、仏教における天部(仏神)です。

そして、須弥山の山頂に住む帝釈天(たいしゃくてん)に仕え、須弥山の四方を守護する守護神であるとされています。

四天王については以下にまとめて紹介します。

四天王の一覧

・持国天(じこくてん):東を守護する
・増長天(ぞうちょうてん):南を守護する
・広目天(こうもくてん):西を守護する
・多聞天(たもんてん):北を守護し、独尊で祀られる場合、毘沙門天(びしゃもんてん)と呼ばれる

この四天王は、インド神話の神々が仏教に取り入れられて成立したものです。

また、四天王が集合すると毘沙門天となるという思想もあり、この毘沙門天武神としても尊崇されています。

人文研究見聞録:四天王寺は神社だった?
毘沙門天

そのため、聖徳太子が四天王に戦勝祈願したのは、こうした理由があったとも考えられます。

ちなみに戦国時代には上杉謙信によって信仰され、軍の旗印にも「毘」の文字を刻んだとされています。

四天王寺の牛王尊

人文研究見聞録:四天王寺は神社だった?
四天王寺の牛王尊

四天王寺には石神堂と呼ばれる「牛王尊(ごおうそん)」という神を祀る社があります。

この社には、四天王寺創建の際に材木を運んでいた牛が伽藍の完成と共に石神に変わってしまったという伝承があります。

そのため、社の中では「牛の石像」が祀られているのですが、これについても謎が多いです。

作家の中山市朗氏の著書『捜聖記』によれば「牛王尊」は四天王寺の中で最も重要な施設であるとされているそうです。

また「」という字は神道において「尊い神」を指すとされ、神話における天津神(天の神)を指すとされます。

牛王尊」には「尊い牛の王」という意が含まれており、これを考察してみると「牛頭天王」が浮かび上がります。

牛頭天王」は古代より難波の地で祀られてきた神であるとされ、スサノオの本地(本来の姿)とされています。

また、スサノオは『日本神話』において天上の高天原を追放された天津神です。

これらのことから、四天王寺の「牛王尊」では「牛頭天王」こと「スサノオ」を祀っていたと考えられます。

ちなみに聖徳太子が四天王寺の外護として建立した四天王寺七宮でも、そのほとんどに「スサノオ」が祀られています。

牛頭天王についてはこちらの記事を参照:【牛頭天王(ゴズテンノウ)とは?】

四天王とスサノオ

人文研究見聞録:四天王寺は神社だった?
帝釈天
人文研究見聞録:四天王寺は神社だった?
インドラ
人文研究見聞録:四天王寺は神社だった?
スサノオ
人文研究見聞録:四天王寺は神社だった?
牛頭天王

四天王は そもそも帝釈天に仕える仏神であり、簡単に言えば「脇役」です。

よって、寺院の本尊として祀られているということは非常に不自然なことであると言えます。

また、四天王寺内の最重要施設として石神堂が挙げられることから、本来「牛王尊」が本尊であるとも考えられます。

上記の仮説を基に、四天王寺の本尊を考察してみると、まず四天王にとっての主神は帝釈天になると言えます。

帝釈天はインド神話の神・インドラと同一とされ、インドラスサノオは神話上の性格が一致します。

そして、帝釈天には四天王が仕えることから「四天王天」という別名があるとされます。

上記の考察をまとめると「帝釈天=インドラ=スサノオ=牛頭天王」という構図が浮かび上がって来ます。

ゆえに、四天王寺は「牛頭天王(スサノオ)」を本尊として祀る寺院だったと言えるのではないでしょうか?

むしろ、これこそ社殿を持って日本の神を祀る神社の原型であると言えるのではないでしょうか?

四天王寺と神社

人文研究見聞録:四天王寺は神社だった?
元四天王寺の玉造稲荷神社

そもそも社殿を持った神社の起源は不詳であり、起源の古い神社でも社殿は後世に造営されています。

また、未だに古神道の形式を受け継ぐ形の神社では、社殿は無く、柱に張った注連縄で囲まれて祀られています。

よって、神社が社殿を造営する形に変わったのは、おそらく仏教伝来以降であると考えられます。

日本史において、仏教の伝来以後、仏教は日本の文化や思想に大きな変化をもたらしました。

奈良時代には、僧侶が大きな権力を持つようになり、その結果、政治にも影響を与えるようなります。

その結果、奈良時代末期に朝廷は都を平安京に遷都し、仏教勢力を影響を逃れることになります。

つまり、仏教の台頭によって、神道を基本としていた日本の文化や思想は大きく変化したと言えるでしょう。

聖徳太子は、おそらく神道の衰退と仏教の繁栄による日本の文化と思想の変化を予見していたと思われます。

そこで、仏教と神道のパワーバランスを均衡させるために、神社を社殿を持つ施設にしていったと考えられます。

秦氏と神社

人文研究見聞録:四天王寺は神社だった?
秦氏の建てた伏見稲荷

社殿を持つ神社の基礎を築いたのは、おそらく秦氏(はたうじ)でしょう。

というのも、日本で多く分布する神社の本社を建てたのが秦氏だからです(伏見稲荷、松尾大社、八幡宮など)。

秦氏(はたうじ)とは、応神天皇の時代に大挙して日本へ渡来してきた渡来系氏族です。

また、日本に多くの知識や技術を伝えた技術集団であったとも言われています。

聖徳太子の側近にも秦河勝(はたのかわかつ)という秦氏出身の人物がおり、四天王寺建立の出資を担ったそうです。

また、聖徳太子の所持していた弥勒菩薩像を祀るために、太秦に広隆寺を創建したことでも知られています。

秦氏についてはこちらの記事を参照:【秦氏とは?】

四天王寺は現在の神社の原型である

人文研究見聞録:四天王寺は神社だった?
四天王寺の石鳥居

上記のことから、聖徳太子は秦氏と密接な関係を築いていたということが言えるでしょう。

そして、仏教勢力の台頭を予見した聖徳太子は秦氏に社殿を持つ神社の建立を命じたものと思われます。

その結果、現在のように全国に多くの神社が建立され、日本が仏教一色に染まることは阻止されました。

個人的には、その神社の原型として四天王寺を建立したのと考えています。

そのため、四天王寺には日本最初の官寺であるにもかかわらず「鳥居」が堂々と設置されているのでしょう。

なお、実際に仏教を推し進めたのは聖徳太子ではなく、蘇我馬子を中心とする蘇我氏だったと思われます。

なぜなら、釈迦如来を祀ったのは蘇我氏であり、聖徳太子は弥勒菩薩や四天王など密教系の仏を祀っているからです。

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2 件のコメント :

  1. 四天王寺は別名「荒陵山」。由来は物部氏の墓所と思われます。
    四天王寺鳥居の先にあるのは太子殿。そしてさらにその先にあるのが(物部)守屋祠。
    東西方向で見れば純粋な神社です。その目的はひとつです。守屋の霊の鎮魂。

    守屋別邸跡に聖徳太子が建てたとされる八尾の大聖勝軍寺にこの神式仏式混在の原型があります。やはり目的は守屋の霊の鎮魂です。

    返信削除
  2. >>Shinpachiさんへ

    コメントありがとうございます。

    やはり、四天王寺を神社と見ることもできそうですね。

    八尾市の大聖勝軍寺については知りませんでした。wikipediaで調べてみると縁起が興味深いですね。

    今度 調査しに行ってみます。情報ありがとうございました^^

    返信削除

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