人文研究見聞録:四天王寺七宮とは?(まとめ)

四天王寺七宮(してんのうじしちみや)とは、聖徳太子四天王寺を創建した際、四天王寺の外護(げご、保護して守ること)として建立した神社群を指します。

このことは『古事記』『日本書紀』および『聖徳太子伝暦』などの文献には一切記されておらず、その存在は四天王寺七宮とされる神社の存在と、そこに伝わる伝承によってのみで確認することができます。

なお、四天王寺七宮の存在から、文献上では聖徳太子は仏教の聖者として日本に仏教を広めた人物とされますが、実は神道を蔑にしたわけではなく、神道における日本の神も篤く尊崇していたということが窺い知れます。


四天王寺七宮一覧


人文研究見聞録:四天王寺七宮とは?(まとめ)
四天王寺七宮は聖徳太子によって建てられた神社である

・大江神社(夕陽丘町)
・上之宮神社(上之宮町):大江神社に合祀
・小儀神社(勝山1丁目):大江神社に合祀、四天王寺東門前
・土塔神社(大道1丁目):大江神社に合祀、四天王寺南門前
・久保神社(勝山2丁目)
・河堀稲生神社(大道3丁目)
・堀越神社(茶臼山町)

詳しくは、下記の一覧表を参考にしてください。

人文研究見聞録:四天王寺七宮とは?(まとめ)
大江神社

四天王寺建立の際、その外護として創建された神社である。
七宮のうち、小儀神社、土塔神社、上之宮神社の3社と その祭神を合祀している。   

・祭神:豊受大神、素戔嗚尊、欽明天皇、大己貴命、少彦名命
・住所:大阪府大阪市天王寺区夕陽丘町5-40
・交通:四天王寺夕陽丘駅(徒歩5分)、天王寺駅(徒歩16分)
・備考:上之宮、小儀、土塔神社を合祀、狛虎があり、元は毘沙門堂があった。
人文研究見聞録:四天王寺七宮とは?(まとめ)
上之宮神社趾(上野王子)

元々は四天王寺の外護の上之宮神社として鎮座していた。
四天王寺七宮の一社であり、現在は大江神社に合祀されている。

・祭神:欽明天皇、大己貴命、少彦名命(大江神社に合祀)
住所:大阪市天王寺区上之宮町4
・交通:四天王寺夕陽丘駅(徒歩13分)、天王寺駅(徒歩25分)
備考:現在は消滅。熊野修験における九十九王子の4番目でもある。
人文研究見聞録:四天王寺七宮とは?(まとめ)
小儀神社趾(小儀宮趾)

元々は旧小儀村の産土神で、牛頭天王社とも呼ばれていたとされる。
四天王寺七宮の一社であり、現在は大江神社に合祀されている。

・祭神:素戔嗚尊(大江神社に合祀)
・住所:大阪市天王寺区勝山1-11
・交通:四天王寺夕陽丘駅(徒歩10分)、天王寺駅(徒歩15分) 
・備考:現在は消滅。
人文研究見聞録:四天王寺七宮とは?(まとめ)
土塔神社(大江神社に合祀)

元々は四天王寺の外護の土塔神社として鎮座していた。
四天王寺七宮の一社であり、現在は大江神社に合祀されている。

・祭神:素戔嗚尊(大江神社に合祀)
・住所:大阪市天王寺区大道1丁目(詳しくは不明)
・交通:不詳 
・備考:現在は消滅。
人文研究見聞録:四天王寺七宮とは?(まとめ)
久保神社

四天王寺建立の際、その外護として創建された神社である。
四天王寺七宮の一社であり、天照皇大神を祀る旧久保村の産土神とされる。

・祭神:天照皇大神、速素盞男尊、伊邪那岐尊、伊邪那美尊、宇賀御霊神 
・住所:大阪府大阪市天王寺区勝山2丁目5-14
・交通:四天王寺夕陽丘駅(徒歩14分)、天王寺駅(徒歩15分) 
・備考:伊勢神宮の遥拝所がある。
人文研究見聞録:四天王寺七宮とは?(まとめ)
河掘稲生神社

元々は弥生時代から存在する古社であり、「稲生の神」を祀っていた。
四天王寺創建時に四天王寺七宮の一宮として再建された。

・祭神:宇賀魂大神、崇峻天皇、素戔嗚尊
・住所:大阪府大阪市天王寺区大道3-7-3
・交通:天王寺駅(徒歩9分)、四天王寺夕陽丘駅(徒歩17分)
・備考:古代の稲荷信仰に関連があると思われる。
人文研究見聞録:四天王寺七宮とは?(まとめ)
堀越神社

四天王寺創建と同時に崇峻天皇を祀る社として創建された神社である。
この神社も四天王寺の外護である四天王寺七宮の一社に数えられている。

・祭神:崇峻天皇、小手姫皇后、蜂子皇子、錦代皇女
・住所:大阪府大阪市天王寺区茶臼山町1-8
・交通:天王寺駅(徒歩7分)、四天王寺夕陽丘駅(徒歩11分)
・備考:聖徳太子が、暗殺された崇峻天皇を偲んで建立したとされる。
matapon
著者: matapon Twitter
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。