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2015年3月13日金曜日

稲荷神とは?(稲荷神とキツネ)

人文研究見聞録:稲荷神とは?(稲荷神とキツネ)

全国の稲荷神社ではキツネが神として祀られていると思われがちですが、実は「宇迦之御魂神(ウカノミタマ)」という五穀豊穣を司る神様であり、キツネはあくまでも神使(神の使い)です。

そうした理由の解説や、その起源を探る諸説などを以下にまとめて解説していきたいと思います。


稲荷神とは?

神道における稲荷神

人文研究見聞録:稲荷神とは?(稲荷神とキツネ)

神道では伏見稲荷を起源とする稲荷信仰に基づいて、食物と五穀豊穣を司る神を稲荷神として祀っています。それらに当たる神々は以下の通りです。

神道における稲荷神一覧

・宇迦之御魂神(ウカノミタマ):伏見稲荷の稲荷三神の一柱。『古事記』に登場し、スサノオの子とされる
・倉稲魂命(ウカノミタマ、クラシネタマ):『日本書紀』に登場し、イザナギの空腹から誕生したとされる
・豊宇気毘売神(トヨウケビメ):『古事記』に登場し、伊勢外宮では「豊受大神」として祀られているとされる
・保食神(ウケモチ):『日本書紀』に登場し、口から食物を生み出す神として描かれる
・大宣都比売神(オオゲツヒメ):『古事記』に登場し、身体から食物を生みだす神として描かれる
・佐田彦大神(サタヒコ):伏見稲荷の稲荷三神の一柱。サルタヒコと同一視される
・大宮能売神(オオミヤノメノカミ):伏見稲荷の稲荷三神の一柱。百貨店の神としても知られる
・田中大神(タナカノオオカミ):伏見稲荷の摂社・田中社で祀られる神

なお、宇迦之御魂神倉稲魂命は同一視され、両神の読みも主に「ウカノミタマ」と統一されています。

また、ウカノミタマトヨウケビメは同一視されることが多いですが、個人研究の結果、伏見稲荷創建以前の古社に鎮座する稲荷社で祀られる稲荷神は「トヨウケビメ」とされるケースが多々あります。

また、サタヒコと同一視されるサルタヒコは、道祖神と習合されることから「田の神信仰における稲荷神」として祀られるようになったと考えられます。


仏教における稲荷神

人文研究見聞録:稲荷神とは?(稲荷神とキツネ)
荼枳尼天(豊川稲荷)
人文研究見聞録:稲荷神とは?(稲荷神とキツネ)
最上位経王大菩薩(最上稲荷)

仏教における稲荷神は、主に真言密教において稲荷神と習合した仏教の神「荼枳尼天(だきにてん)」と同一視されています(豊川稲荷など)。

荼枳尼天は、人の心臓を食らう夜叉であるとされており、その性格が時には屍体を食す習性のあるキツネに類似することから、中世には霊弧と同一として見なされるようになったとされています。

そのことから、日本では荼枳尼天を白狐に乗る天女の姿で表すようになったそうです。

また、日本三大稲荷の一つ、岡山県の最上稲荷(さいじょういなり)の本尊である最上位経王大菩薩(さいじょういきょうおうだいぼさつ)も、荼枳尼天と同様にキツネに乗った形で表されています。


稲荷神とキツネについて

稲荷神はキツネではない

人文研究見聞録:稲荷神とは?(稲荷神とキツネ)

稲荷神がキツネと誤解されるようになった由縁として、宇迦之御魂神の別名に「御饌津神(みけつのかみ)」があり、それが誤って「三狐神(みけつかみ)」と表記されたことからキツネが祀られるようになったとされています(キツネの古名は「けつ」であることから、「狐」という漢字が当てられたそうです)。

その後、「三狐神」が転じてキツネが神使とされ、時代が下ると稲荷狐に「命婦(みょうぶ)」の格が授けられ、神格化されたキツネである「命婦神(みょうぶがみ)」として神社(命婦社)に祀られるようになったといわれています。

そして、江戸時代に稲荷が商売の神として公認されたあたりから、キツネが稲荷神であるという誤解が一般に広がったそうです。

そのほか「キツネが田を荒らすネズミを捕食するため田の神と習合した」という説や、「秦氏が伏見稲荷を創建する前に山の神として崇められていた」という説などがあります。

ちなみに、神道において稲荷狐として祀られるのは主に白狐なんだそうです(伏見稲荷では「白狐」を「目に見えない透明狐」と解説しています)。

なお、ヲシテ文献には、キツネが稲荷神の眷属とされることについて別の理由が記載されています(下記を参照)。


キツネを神として祀るケース

人文研究見聞録:稲荷神とは?(稲荷神とキツネ)

稲荷神をキツネとする説が一般化したことに伴い、稲荷社で狐神を祀るケースも往々にしてあります。

その代表として、平安末期に鳥羽上皇に仕えた「玉藻前(たまものまえ)」や、安倍晴明の母とされる「葛の葉(くずのは)」、源義経を助けた「源九郎狐(げんくろうぎつね)」などが有名です。


ヲシテ文献に見る稲荷神

カダノカミとキツネ(ホツマツタヱの記述)

人文研究見聞録:稲荷神とは?(稲荷神とキツネ)

まず『ホツマツタヱ』とは、第12代景行天皇の御代に献上されたという「ヲシテ(神代文字)」で記された年代記を指します。この文献には一説によれば『記紀』の根本史料であるという説があり、内容を精査すれば『記紀』を包括する内容の他、『記紀』より溢れた情報も数多く載せられています。

その内容の中に稲荷神とキツネの関係性を示唆する内容が見られるため、ここに紹介しておきたいと思います。

ホツマツタヱの文中に見られる稲荷神とキツネ

・オモタルの御代の末より稲穂が細くなって育ちが悪くなったため、アマテルはツキヨミをウケモチの元に派遣した(15文)
 ・ウケモチは肥の柄杓の口で米を煮て、肥の掛かったスズナでスズナ汁を作ってツキヨミをもてなした
 ・ツキヨミは「そんな穢れたものと交われるか」と激怒し、剣を抜いてウケモチを斬り殺した
 ・ツキヨミが帰って報告すると、アマテルは「お前のような反れた者とは顔を合わせたくない」と言って政から離した
 ・ツキヨミの代わりにアメクマドが派遣され、ウケモチの8代目に当たるカダがヒヨウルタネ(作物の種)を献上した
 ・アメクマドが持ち帰った種を献上すれば諸県に植えられて、その秋は豊作となって国が富んだ
 ・また、カダは繭を茹でて糸を引くコカヰ(養蚕・絹織)の方法も教え広めた
 ・これにより、8代目ウケモチのカダはカダノカミとなり、代々生活の守り司として讃えられた
・国中でハタレ(魔物)が一斉に蜂起したとき、カダはキクミチ(キツネ・クツネ)の鎮圧に向かった(8文)
 ・アマテルよりネスミ(揚げ鼠)やハジカミ(椒)を得たカダは、それを以って総勢33万の敵を悉く捕らえて牢に入れた
 ・捉えた敵はマフツノヤタカガミ(心を写す鏡)に姿を映され、人の姿の者は民となり、異なる者はタマタチが為された
 ・キクミチの頭領の三人はキツネの影が映ったためにミツキツネと呼ばれ、配下33万も含めてタマタチが決定された
 ・カダが庇ってキクミチの放免を諸人に訴えれば、最初は拒まれたものの、7度に亘る懇願でようやく認められた
 ・すると、アマテルはキクミチの頭領をウケミタマの守護に当たらせ、また永くカダの配下に据えるように詔した
 ・そこで、カダはキクミチの頭領三人をイセ、ヤマシロ、アスカノの各地方の守護に当たらせた
 ・また、キクミチの配下の者たちには頭領三人のそれぞれに従って、各地の田畑の鳥を追う役目を与えた
 ・こうした経緯から、ウケノミタマもウケモチもカダノカミとなった

経緯(内容の要訳)

天神三代トヨクンヌの時代、ウケモチは天界に尊(君主)のウケナ(食菜)を乞うとヒヨウルタネが下された。これにより、農業の道を開いたウケモチは代々農法を発展させていた。

7代目ウケモチの時代、天(中央)が領する国々の稲の育ちが悪くなった。天の君主であるアマテルは、ツキヨミをウケモチの元に派遣してヒヨウルタネを貰ってくるように命じた。しかし、ウケモチが肥を扱う柄杓で米を煮たことや、肥の付いたスズナで作った汁でツキヨミをもてなしたことから、ツキヨミは激怒して7代目ウケモチを斬り捨ててしまった。

この事件が元でツキヨミは政庁から離され、アメクマドが代わりにヒヨウルタネを持ち帰るように命じられた。このとき、8代目ウケモチにはカダが就任しており、アメクマドにヒヨウルタネを渡し、さらにコカヰの道を広めた。この功績からカダは"カダノカミ"と称えられ、さらに天の重臣に据えられる。

この後、国中でハタレ(魔物)が蜂起するという事件が起こり、代表的な六つの軍勢に対して各臣が鎮圧を命じられることになる。そのうちの一つであるキクミチは、ハナヤマノに集結し軍を起こし、菊の咲き乱れる幻影や叢雲および蛍火を見せて翻弄するハタレであり、この鎮圧にはカダが選出された。

カダの軍勢はキクミチの幻影に為す術が無かったため、一度退却してアマテルに報告すると、アマテルはキクミチの正体はキツネクツネであろうと推察し、その戦略として揚げ鼠と椒(生姜と茗荷)を与えた。カダは再び戦場に赴き、アマテルから受けた戦略を以ってキクミチの33万の軍勢を悉く拘束した。

その後、ハタレが悉く捕らえられると、アマテルの后であるセオリツヒメが持ってきたマフツノカガミ(心を映す鏡)に姿を映させ、そこで人の姿が映った者は民として迎え入れ、そうでない者はタマガエシ(霊還し)を為すためにタマタチ(処刑)をし、この儀式を以って人の身に転生させることに決めた。

そして、キクミチの頭領三人がマフツノカガミに映されると、その姿にはキツネの影が映っていた。このため、これらをミツキツネと称し、頭領以下33万の配下がタマタチされることが決まった。

しかし、カダはキクミチを庇って放免を諸人に訴えるが、それは拒まれて受け入れられなかった。それでもカダは挫けずに7度に亘って懇願すれば、やがて訴えは受け入れられることになった。

アマテルは放免の条件にミツキツネにウケノミタマ(ワカムスビ)を守護するように命じ、その管理をカダに預けることとした。なお、裏切れば直ちにタマタチするということも伝えた。カダはミツキツネのそれぞれをイセ、ヤマシロ、アスカノに派遣して、ウケノミタマを守護するように命じた。また、配下のキツネ達はミツキツネの従うこととし、各地の田畑の鳥を追う役目を与えた。

こうしたことから、ウケノミタマウケモチカダノカミ(生活の守り司たる神)となった。

参考リンク:ホツマツタヱ・ミカサフミ 現代語訳


ウケモチとウカノミタマ

上記の『ホツマツタヱ』および『ミカサフミ』というヲシテで記された古文書には、稲荷神および稲荷信仰について詳しく記されています。そのため、その内容を抜粋して紹介したいと思います。

『ホツマツタヱ』

・カグツチとハニヤスが生む子をワカムスビという、ワカムスビは頭に蚕と桑を、臍からソロ(稲・実)を生じさせた(5文)
 ・ワカムスビの別名をウケミタマという
・昔、ウケモチが尊のウケナ(食菜)を天に乞えば、ヒヨウルタネ(稲と根菜の種)が下された(15文)
 ・8月の初日にウケモチが初穂をトヨクンヌシに奉れば、トヨクンヌシは和幣を以ってアメナカヌシの神を祀った

『ミカサフミ』

・正月が終わり、2月に陰陽が和合して萌え生えれば、種活しを行ってイナルカミを祀り、馬祭を行う(7文)
・水の女神が4月より大陽を招いて夏を告げれば、衣から綿抜きをして、月の半ばの早開きにイナルノカミを祀る(7文)

解説

『ホツマツタヱ』によれば、天神三代トヨクンヌの時代に"ウケモチ"が天界に尊(君主)のウケナ(食菜)を乞うと、ヒヨウルタネが下されて、これより農業の道を開かれたとされています。

なお、ウケモチは稲の初穂をトヨクンヌに捧げ、トヨクンヌは和幣を奉じてアメナカヌシの神を祀る祭礼を行い、ウヒチニの御代には毎年祭りを開いたとされています。

また、"火の神のカグツチ""土の神のハニヤス"が生んだ子を"ワカムスビ"といい、このワカムスビの頭には蚕と桑が、臍にはソロ(稲・実)を生じたとされ、ワカムスビの別名が"ウケノミタマ"であるというと記されています。

その後、天(中央)の国々の稲の育ちが悪くなったことから、ヒヨウルタネを持ち帰るように命じられたツキヨミが派遣されますが、トラブルがあってツキヨミがウケモチを斬り殺すという事件が起こります(上記参照)。

その次のウケモチであるカダは、天にヒヨウルタネを献上し、さらにコカヰの道を広めたことから"カダノカミ"と称えられ、後に起こったハタレが蜂起して反乱を起こすという事件の後、カダは敵だったキツネのキクミチを従えて眷属とし、これによって"キツネを神使とするカダノカミ(ウケモチ・ウケノミタマを含む)"となったとされています(上記参照)。

一方、『ミカサフミ』には、トヨケ(豊受大神)の時代には稲作の節々にイナルノカミを祀るという例祭が慣習となっていたというような記述があり、イサナギ・イサナミ以前にはイナルノカミを祀る祭礼が存在していたことが示唆されます。

これら二書の記述を併せて考察すると、ヲシテ文献に於いては稲荷信仰はトヨクンヌの時代に始まり、ウヒチニの時代に通例となり、ハタレの鎮圧を以ってウケモチ・ウケミタマが習合されてキツネが神使となったものと考えられます。

これ故に、元祖稲荷神ウケモチであり、ウケノミタマが習合された後は眷属となったミツキツネが派遣されたイセ、ヤマシロ、アスカノを中心にウケノミタマイナルノカミ(稲荷神)とする信仰が広まったという仮説が立てられます。

よって、『山城国風土記』にある稲荷社の由来よりも古くから稲荷信仰が存在してと言えるのではないでしょうか?

なお、大阪市にある河掘稲生神社(こぼれいなりじんじゃ)は、社伝によれば景行天皇の時代に当時 昼ヶ丘と呼ばれていた地に「稲生の神」を祀ったことに始まるとされており、伝承がこのホツマツタヱの記述と一致します(伏見稲荷が起源では無い)。

また、同市内に存在する玉造稲荷神社五幸稲荷社(鵲森宮)で祀られる稲荷神は「五幸稲荷大明神」と呼ばれる伏見稲荷の分霊では無い稲荷神とされており、玉造稲荷神社では その歴史の古さから「もといなり」と呼ばれていたそうです(なお、玉造稲荷神社は紀元前より存在する古社とされています)。

そして、「五幸稲荷」に関する情報を追って行くと京都の丹後半島に鎮座する五幸稲荷神社に当たり、そこではウカノミタマではなくウケモチが主祭神とされています。

このことから、地方によっては豊穣神としてウケモチを主として祀るという稲荷信仰も残っているものと考えられます。

こちらの記事も参照:【稲荷信仰とは?】


ヲシテ文献における稲荷神

『ホツマツタヱ』と『ミカサフミ』にある稲荷神の記述について、ここにまとめて紹介したいと思います。

・ウケモチ:天界から得たヒヨウルタネによって農業の道を開き、以後 代々農業の発展を司った
・イナルノカミ:稲作の節々に祀られる豊穣の神(トヨクンヌが行ったアメナカヌシの祭に関係すると思われる)
・ワカムスビ:カグツチとハニヤスによって生まれ、頭には蚕と桑、臍にはソロ(稲・実)が生じたとされる
・ウケミタマ:ワカムスビの別名とされ、畿内および東国や九州でも祀られていたことが記される
・カダノカミ:8代目ウケモチのカダに与えられた神名であり、キクミチの鎮圧後にウケモチとウケミタマが習合された
・オオトシ:ヤマサと呼ばれる地の十一神から分れ出た八神霊の一であり、豊穣を司るとされる
・オオトシクラムスビ:ソサノヲとイナダヒメの第六子で漢字を当てれば大歳倉稲魂となるが、豊穣神に当てられる記述はない
・サタ:『ミカサフミ』にソサノヲとイナダヒメの第五子であるオホナムチをサタとする記述がある(181子を儲けた子宝の神か?)
・タナカカミ:オホナムチはヒルコ(ワカヒルメ)から押草に仰いで害虫を祓う極意を会得し、タナカノリという祓いの祭礼を確立した


龍神との関連性(仮説)

人文研究見聞録:稲荷神とは?(稲荷神とキツネ)
真名井稲荷神社
人文研究見聞録:稲荷神とは?(稲荷神とキツネ)
大元神

『ホツマツタヱ』ではカグツチとハニヤスがワカムスビを儲け、ワカムスビは頭から蚕と桑、臍からソロ(稲・実)を生じさせたとされ、その別名をウケミタマと称えるとされます。また、後には豊穣神として重要視され、各地の季節の祭礼で祀られるようになったことも記されています。

また、21文には"カグツチハニヤスタツ(龍)を生ませようと万の子を儲けたが、タツには成らずにオコロとなったものは地中の穴に棲み付くようになり、ニニキネ(ニニギ)の宮殿造営予定地に棲みついていたため、オコロカミとして新宮の守護を命じられた"と記されています。なお、オコロはモグラのことと考えられており、モグラに土竜の漢字が当てられるのは、これに由来するとも考えられます。

一方、『古事記』では"ワクムスビの子にトヨウケビメが生まれた"とされ、この神は一般的に稲荷神や伊勢外宮の豊受大神と同神と捉えられて豊穣を司るとされています。

なお、京都府宮津市に位置し、豊受大神の本拠とされる籠神社の社伝によれば、"豊受大神は別名をアメノミナカヌシクニノトコタチといい、その顕現がトヨウケビメである"と云われているそうです。また、境内摂社の真名井稲荷神社には、ウカノミタマ・ウケモチ・トヨウケビメが祀られており、鳥居の前には狛龍が設置されています。

長々と書きましたが、ここから推測できることは"カグツチとハニヤスから生まれたワカムスビ龍神ではないか"ということです。

というのも、『ホツマツタヱ』21文にある"カグツチはハニヤスにタツ(龍)を生ませようとしたが、悉く失敗してその多くがオコロとなった"という記述がある一方、この二神から生まれたワカムスビは蚕とソロを生じさせたことからウケミタマとして豊穣神となったことが記されています。

そもそも、龍は雨を司るとされることから農耕神として祀られるケースがあります。そして、『ホツマツタヱ』に見られる"カグツチとハニヤスがタツを生もうとした"という点と"ワカムスビがウケミタマという豊穣神となった"という点、さらに『古事記』にある"ワクムスビの子がトヨウケビメである"という点に併せて、豊受大神の本拠である"籠神社摂社の真名井稲荷神社に珍しくも狛龍が安置されている"という点を鑑みれば、ワクムスビは龍神ではないかと考えられます。

また、山陰地方を中心に「大元神」という土着の豊穣神を祀る信仰が存在し、この大元神は"龍が大木に巻き付いた姿である"と云われています。なお、山陰地方では「石見神楽」という神楽が盛んに行われており、この石見神楽も元々は「大元神楽」と呼ばれる田楽の一種を源流とされています。

大元神楽は注連縄を龍に見立てて舞うという点が特徴とされるものであり、豊穣を祈願して大元神に捧げられる神事であるとされています。この大元神楽から発展した「石見神楽」は、現在はエンターテイメント性の強い神楽として親しまれており、その見どころは「大蛇」という"スサノオのヤマタノオロチ退治"を題材とした舞です。

神話ではヤマタノオロチは"八つの頭を持つ大蛇"であるとされますが、石見神楽に登場するオロチには角が生えており、明らかに龍を模したデザインとなっているケースがほとんどであると思われます。故に、これは大元神楽が捧げられる"大元神(龍神)を模しているのではないか"ということも窺い知れます。

また、『ホツマツタヱ』におけるトヨケ(豊受大神)は文中にて、クニトコタチ(天地開闢より最初に現れた神の総称) → キノトコタチ(初代タカミムスビ) → トヨケへと転生していると自称しており、これは籠神社の社伝にある"豊受大神は別名をアメノミナカヌシ、クニノトコタチという"という記述と一致します。

さらに、トヨケはネノクニ(日本アルプスを越えた外側にある国々の総称に比定)の一部のサホコチタル(中国地方に比定)を治めており、その際に政庁をマナヰハラのミヤツに定めていたとされます。そして、神上がる(亡くなる)際に当地の洞に隠れて、その後はしばらくアマテル(アマテラス)が政治を執ったとされています。

以上のことから、"龍神たるワクムスビ(ウカノミタマ)より生まれたのが豊受大神の顕現であるトヨウケビメであるため、真名井稲荷神社では狛龍が奉納される"ということが言えると思います。

また、山陰の稲荷社に於いては祭神がトヨウケビメとなっているケースも見られることから、"大元信仰という山陰独自の龍神信仰は、クニトコタチという原初の神の顕現であるトヨケに由来し、その顕現であるトヨウケビメの信仰として広まったものである"と推測できると思います。


ヲシテ文献に見る稲荷神のまとめ

ヲシテ文献をはじめ、上記の仮説から推察できる情報をまとめてみると、このようなことが言えると思います。

・ウケモチは農業の道を開いた神である
 → その起源は天神三代のトヨクンヌの時代に天界からヒヨウルタネが下されたことに由来する
 → 初代ウケモチ以降、代々農業を発展させてきたが7代目ウケモチはツキヨミによって殺されてしまう
 → 8代目を受け継いだカダは、天に刃向うこと無くヒヨウルタネを献上し、蚕養の道を広めたことから重臣となる
 → 伏見稲荷の社家である荷田氏は、秦氏よりも先に深草に先住していたとも言われる
 → 伏見稲荷には「荷田社」がある
 → 稲荷山全体の地主神を「荷田の神(カダノカミ)」という
・イナルノカミを祀る豊穣の祭礼は古くから存在していた
 → 天神三代のトヨクンヌが行ったアメナカヌシの祭を起源とする
 → 天神四代のウヒチニの時代に毎年の恒例行事となる
 → 『ミカサフミ』にて、トヨケが季節の行事を説明する件に含まれる
・ウカノミタマは"民の生活の守り神"の総称である
 → 名称の起源はワカムスビの別名である
 → ハタレ(魔物)の軍勢の一つであるキクミチを従えたカダ(カダノカミ)によって習合された
・稲荷神の眷属がキツネとなった理由は、カダがキクミチを救ったことに由来する
 → 天に刃向って一斉蜂起したハタレの中に、キツネとクツネを中心とするキクミチという軍勢があった
 → これらが悉く捕らえられ、全員の処刑が決まった時にカダ(8代目ウケモチ)が庇った
 → キクミチには放免の条件としてウケミタマの守護が命じられ、その管理はカダに一任された
 → カダはキクミチの頭領をイセ、ヤマシロ、アスカノに派遣し、その配下には田畑の鳥を追う役目を与えた
・ワカムスビは龍神の可能性がある
 → ワカムスビを生んだカグツチとハニヤスは、タツを儲けようとして悉く失敗した
 → ワカムスビは生まれてから蚕と食糧を生じさせたことから、後にウケミタマとして祀られることになる
 → 『古事記』によれば子にトヨウケビメを儲けており、籠神社の社伝によればトヨケの顕現とされる
 → 山陰地方には龍神を信仰すると考えられる「大元信仰」がある
 → 大元信仰の田楽であった大元神楽から派生したのが「石見神楽」であると云われる
・佐太大神はオホナムチの別名である可能性がある
 → 『ミカサフミ』には181人の子を生んだオホナムチを称えてサタと呼ぶとするような記述がある
 → 子孫繁栄を豊穣と捉えれば、稲荷神の一柱に数えられても不思議ではない
・田中大神はオホナムチのことを指す
 → オホナムチはヒルコ(ワカヒルメ)から押草に仰いで稲の害虫を祓う極意を会得した
 → これをタナカノリとして体系化し、後世には天皇自らが祓いの儀式を為すカセフノマツリとして定着した
 → これにより、オホナムチは"田を調え直すカミ"の意である"タナカカミ"と呼ばれるようになった

※一般的にはヲシテ文献は学術的には偽書とされているため、数ある中の一つの情報として捉えるのが適切だと思います


その他の説

イエス・キリスト説

人文研究見聞録:稲荷神とは?(稲荷神とキツネ)

キリストの磔刑の肖像には「INRI」という文字が刻まれることが多いのですが、これは「キリストの磔刑」において十字架の上に掲げられた罪状書きの文とされ、ラテン語の「IESUS NAZARENUS REX IUDAEORUM」の頭字語を指し、日本語では「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」と訳されるそうです。

日本人(大和民族)とユダヤ人(古代イスラエル人)は同一の祖先を持つとする「日ユ同祖論」において、この「INRI」は中国大陸から朝鮮半島を経由して渡来してきた「秦氏」によって創建された伏見稲荷を起源とする「稲荷信仰」を指すとされています。その理由は、以下の通りです。

まず秦氏(はたうじ)とは、6世紀頃に大挙して日本列島に渡来してきた氏族であるとされており、中国大陸の秦の始皇帝の末裔であると伝えられています。この始皇帝が中国大陸で治めていた秦国は中東と面した場所に位置しており、中東の周辺諸国との国交は容易であったと考えられます。そのため、ユダヤ人との交流があったとも考えられますし、そもそも始皇帝自体が漢民族では無かったという説もあります。

上記のことから、日ユ同祖論では始皇帝は古代イスラエル人の後裔であり、後に大陸から朝鮮半島を経由して秦氏になったとされます。また、『記紀』の中でも、秦氏は大挙して日本に渡来して来た氏族であり、外来の学問や技術を日本に伝えた人々であったと記されています。

なお、京都府の「太秦」は、秦氏が当時 租税とされていた機織物を朝廷に大量に献上し、天皇にその功績を讃えられて「太秦」の姓を与えられ、その名に因んで名づけられた地とされています。そして、この太秦には「大酒神社」や「蚕の社」など秦氏の氏神を祀る神社が多数あり、特に蚕の社に設置された三本足の「三柱鳥居」は、特異な形をしていることから秦氏が持ち込んだ景教(キリスト教ネストリウス派)の遺物であると紹介されています。

これらのことから、秦氏は海の向こうからやってきた人々であり、日本文化に影響を与えるほど数多くの知識や技術をもたらしたことは明白です。

そして、秦氏が創建した伏見稲荷を起源とする稲荷信仰において、日本語で「稲荷」を「いなり」と読むのは不自然であり、これは「INRI」に「稲荷」を当てた景教におけるキリスト信仰を表しているという説が「稲荷神=イエス・キリスト説」です。

また、鳥居が赤く塗られている理由は、『旧約聖書』の「出エジプト記」の中に登場する説話において、神・ヤハウェがもたらす禍(わざわい)を避けるために仔羊の血を門口に塗ったという「過越の祭(すぎこしのまつり)」に因んでいるという説があります。

これらは なかなか面白い説ではありますが、日本の神道のすべてに当てはまるワケでは無いと思われます。その理由として、そもそも日本古来の神道は社殿を持たない自然崇拝の形式である古神道を基調としており、古い時代の鳥居は現在の鳥居とは全く異なる形であると考えられるからです。

また、稲荷信仰の起源自体も上記の「最古の稲荷神=ウケモチ説」によって否定できますし、現在でも日本の鳥居の全てが赤いワケではありません。また、記録上の最古の鳥居は、593年に建立された四天王寺の木造鳥居がそれに当たると考えられますが、これが赤かったかどうかは不明です(現在は石鳥居)。よって、神道と日ユ同祖論を完全に結び付けるのは不可能であると思われます。

しかし、稲荷神社をはじめ松尾神社や八幡宮など、社殿を持つ形式の神社を建立していったのは秦氏であることは明らかであり、飛鳥時代以降の神社神道において、秦氏の影響があったことは確実であると言えるでしょう。そのため、日ユ同祖論を完全に否定することも不可能であると言えます。

よって、「日ユ同祖論」および「稲荷神=イエス・キリスト説」は、半信半疑で捉えておくのが丁度良いと思われます。

追記ですが、個人研究によって稲荷神がウケモチを起源とする「五幸稲荷信仰」と、8世紀初頭に起こった伏見稲荷を起源とする「稲荷信仰」に分かれる可能性が浮上しました。

前者は紀元前より存在するため、キリストの生誕の翌年を起源とする西暦よりも時代が遡ります。つまり、「五幸稲荷信仰」はキリストの生誕以前より存在していたと考えられるため、日本古来の稲荷信仰と「稲荷神=イエス・キリスト説」は論理的に成り立ちません。

ゆえに「稲荷神=イエス・キリスト説」は、8世紀初頭の秦氏の起こした稲荷信仰に当てはまると考えるのが妥当だと思われます。

詳しい考察についてはこちらを参照:【稲荷信仰とは?】


田の神説

人文研究見聞録:稲荷神とは?(稲荷神とキツネ)

伏見稲荷の稲荷三神の一柱に数えられる佐田彦大神(サタヒコ)は、道祖神と習合する猿田彦大神(サルタヒコ)と同一視されることから、「田の神信仰」における稲荷神とする説があります。

なお、「田の神」とは日本の農耕民の間で、稲作の豊凶を見守り、稲作の豊穣をもたらすと信じられてきた神であり、日本に古来より存在した農耕神を祀る習俗では、倉稲魂(ウカノミタマ)や その兄弟神である大歳神(オオトシノカミ)、また豊受媛神(トヨウケビメ)も田の神として信仰されてきたそうです。

ちなみに、猿田彦大神は『記紀』においても突如現れた謎の神であるとされ、『日本書紀』では特徴として「その神の鼻長は七咫、背長は七尺、目が八咫鏡のように、またホオズキのように照り輝いているという姿であった」と記されています。

また、身体的特徴が記される神は珍しく、わざわざ特徴を記した理由として、日本の神と著しく異なる容姿を持っていたという説が唱えられています。よって外来神ではないかとも云われています。

これについて、自称第73世武内宿禰の竹内睦泰氏は「猿田彦はイエス・キリストではないか思います」と明言しています(下記の動画を参照)。



アヌビス説

人文研究見聞録:稲荷神とは?(稲荷神とキツネ)
キトラ古墳の壁画
人文研究見聞録:稲荷神とは?(稲荷神とキツネ)
ヘルマニビス像

稲荷神をキツネの姿であるとする説において、エジプト神話に登場するアヌビスが形を変えてキツネとして伝わってきたという説もあります。

その説では、奈良県の明日香村にあるキトラ古墳の壁画にアヌビスと類似する神の姿が描かれていることなどから、そのような神が日本に伝わっていることを指摘しています。

なお、バチカン美術館にはヘレニズム化されたアヌビス像があり、ギリシア神話の智慧の神ヘルメスと融合してヘルマニビスともいわれるとされていますが、ギリシア神話において旅人、商人などの守護神とされるヘルメスは、日本で道祖神と習合された猿田彦大神の性格と非常に類似しています。

また、これについて豊川稲荷とギザの位置関係によって、稲荷神(荼枳尼天)とアヌビスを結び付けるという はやし浩司氏の説があります(下記の動画を参照)。



関連記事:稲荷信仰とは?



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