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2015年7月20日月曜日

神武東征とは?(まとめ)

人文研究見聞録:神武東征とは?(まとめ)

このページでは、日本神話に登場する「神武東征」についてまとめています。

神典における神武東征のストーリーを要約して載せてあります。


概要

神武東征(じんむとうせい)とは、日本神話において、初代天皇となったカムヤマトイワレビコ(神武天皇)が、日向(九州)を発ち大和(畿内)を征服して橿原宮で即位するまでを記した説話を指します。

日向の都を大和に移す意味での「東遷」と呼ばれることも多く、宮崎県では「神武東遷」と記述しているそうです。

日本神話の概略についてはこちらを参照:【日本神話のススメ】


日本の文献における神武東征

日本の神典とされる文献は、『古事記』『日本書紀』『先代旧事本紀』『古語拾遺』の4書が挙げられます。

神武東征は その中で記される説話ですが、『先代旧事本紀』のみ立場が特殊です。

以下、それぞれの文献のストーリーをまとめます(地名や人物名は文献によってやや異なりますが、ややこしいので統一しています)。

『古事記(こじき)』における神武東征

【東征の開始(宮崎 → 大分 → 福岡 → 広島 → 岡山)】

イワレビコは兄・イツセと高千穂(宮崎)の宮殿で相談し、日本を統治するために東を目指すことに決めた
・宇佐(大分)で食事を摂り、筑紫(福岡)で1年滞在し、安芸(広島)で7年滞在し、吉備(岡山)に8年滞在した
・道の途中で亀に乗って釣りをしている国津神と出会い、海路に詳しいということで道案内させた

【ナガスネヒコとの争い(大阪)】

・難波(大阪)に着いた際、ナガスネヒコが待ち受けていたため戦争となり、イワレビコイツセは盾を持って戦った
イツセナガスネヒコの矢を手に受けて致命傷を負い、皇軍は敗戦した
イツセは、日神の皇子なのに日に向かって戦ったから敗戦したとし、回り道をして太陽を背に戦うことを決めた
・紀伊(和歌山)に着いた時、矢傷がもとでイツセは死んだ

【熊野から迂回して大和を目指す(和歌山)】

イワレビコが熊野村に入ったとき、オオクマホノカが姿を見せて隠れると、イワレビコは兵士共々気を失った
・このとき、タカクラジが霊剣を携えてイワレビコの元にやってくるとイワレビコは目を覚ました
イワレビコは、その霊剣をタカクラジから受け取ると、熊野の荒ぶる神は自然と切り倒され、兵士達も目を覚ました
イワレビコは、タカクラジに霊剣をどこで手に入れたのかを尋ねると、タカクラジは自分が見た夢の内容を話した
・その夢では、アマテラスとタカミムスビが、タケミカヅチにイワレビコを助けるように命じる様子が現れていた
・そのとき、タケミカヅチはその命令に対し、手助けは霊剣だけで充分であるとして、霊剣を地上に降ろすことにした
・霊剣の名はフツノミタマと言い、タケミカヅチは夢の中でタカクラジの倉の屋根に穴を開けて霊剣を授けると言った
・そしてタケミカヅチは、夢の中で霊剣をイワレビコに渡すようにタカクラジに命じた
タカクラジが翌朝に倉を覗くと、夢で命じられた通り、そこには霊剣・フツノミタマが置かれていた
・タカミムスビは熊野は危険であるとし、高天原からヤタガラスを使わしてイワレビコを道案内させることにした

【大和からナガスネヒコを攻める(奈良)】

イワレビコが吉野へ入ると、魚を取る国津神・ニヘモツの子、尾のある国津神・イヒカ、イワオシワクの子と出会った
イワレビコが宇陀へ入ると、エウカシ・オトウカシという兄弟と出会い、彼らに味方になるか尋ねた
・エウカシは刃向い、オトウカシは従った、オトウカシはエウカシを裏切って計略を暴露し、イワレビコに降伏した
・エウカシは、オトウカシの裏切りによって自分で張った罠にかかり死亡した
イワレビコが忍坂へ入ると、尾の生えたツチグモヤソタケルが唸り声を上げて待ち受けていた
イワレビコはツチグモヤソタケルに食事を振る舞ったが、その際、料理人に刀を持たせて騙し討ちにした
・そこでツチグモヤソタケルを一掃した皇軍は、続いてナガスネヒコと再戦する
イワレビコナガスネヒコと争った(その様子は和歌で表現されるため、内容は不明)

【ニギハヤヒを降伏させ、大和に遷都する(奈良)】

・その後、ニギハヤヒイワレビコの元へやってきて、自らも天津神の皇子であると言い、印である宝物を献上した
イワレビコはそのように荒ぶる神を説得して平定し、抵抗する者を撃退し、橿原宮で天下を治めた

難波を攻めるまでの滞在年数が他の史書とは異なります。

全体的に記述が少なく、戦闘シーンは和歌で記載されるため、詳細が分かり辛いです。


『日本書紀(にほんしょき)』における神武東征

【東征の開始】

イワレビコが45歳のとき、兄たちと子供を集めて言った
 → 天祖ニニギが天降って179万2470余年になるが、遠くの地では争い事が多い
 → シオツチノオジによれば、東に美しい国があるそうだが、そこには天磐船に乗って降りた者がいるという
 → その土地は、国の中心となりえるため、天下を治めるのに相応しい場所だろうと思う
 → そこに降りた者とはきっとニギハヤヒのことだろう
 → そこで、その土地へ行って都にしようと思う
・皇子たちは、イワレビコに意見に賛同した
イワレビコは皇子たちと先導を連れて東へ向かった
・その途中でウズヒコという国津神と出会い、皇軍を導くために待っていたと言うため、彼に道案内させた
・皇軍は宇佐(大分)に着き、そこで宴会をした
・続いて筑紫に入り、安芸(広島)に滞在し、吉備(岡山)で3年滞在した
・皇軍はたくさんの船団を率いて難波(大阪)に入り、後に河内(南大阪)へ入った
・皇軍は兵を整え、生駒山を越えて大和へ入ろうとした

【ナガスネヒコとの争い】

・そのとき、ナガスネヒコは皇軍が大和へ入るというの噂を聞いて、国が奪われることを危惧し、兵を整えた
・そこで、ナガスネヒコは孔舍衞坂で皇軍を待ち受け、皇軍がやって来た時に戦争を仕掛けた
・その戦争でイワレビコの兄・イツセはヒジを負傷し、皇軍は進軍を諦めて引き返すことにした
・敗戦後、イワレビコは部下を集めてこう言った
 → 日神の子孫が日に向いて敵に向かうことは天の道に逆らうことである
 → そこで一度退却し、敵を油断させ、神々をよく祀り、背に日神の勢いを背負って、日影が挿すように敵を倒そう
・部下たちはその意見に賛同し、全軍に退却命令を出した

【熊野を迂回して大和を目指す】

・皇軍は紀伊(和歌山)へ迂回し、東から大和を攻めることにした
 → 紀伊国でイツセの傷は酷くなり、イツセは報復できずに死んでしまうことを憂いて雄叫びを上げた後に死んだ
・皇軍は熊野へ入り、天磐盾(神倉山とされる)に登って東を目指した
・その後、船で海路を渡っている時に暴風雨に遭い、兄のイナイとミケイリノはそれぞれ海の彼方へ旅立った
 → イナイは天災に対して怒り、剣を抜いて海に入り、サイモチノカミ(ワニ)となった
 → ミケイリノハも天災に対して怒り、波を踏んで常世の国へ渡った
イワレビコは息子のタギシミミと共に皇軍を率いて熊野荒坂津へ入り、そこでニシキトベという者を殺した
・そのとき神が毒を吐いたため、イワレビコと皇軍は毒に冒され、さらに物も冒されてしまい全てが病んでしまった

【タカクラジの夢と霊剣・フツノミタマ】

・その土地にはタカクラジという者が住んでおり、皇軍が到着する前に夢の中で、天津神に神託を受けていた
・その夢では、アマテラスがタケミカヅチに地上を乱れを正すように命じていた
・タケミカヅチは命令に対して、剣を降ろせば地上は鎮まるだろうと答えた
・そこで、タケミカヅチは霊剣・フツノミタマを地上のタカクラジに預け、これをイワレビコに渡すように命じた
・翌日、タカクラジは蔵を覗いてみると、夢で言われたとおりに霊剣が床板に突き刺さっていた
タカクラジイワレビコの元へ霊剣・フツノミタマを持って行き、すぐにこれを指し出した
・すると、毒に冒されて寝ていたイワレビコは即座に目覚め、後に兵士たちも全て目を覚ました
・皇軍は早速進軍を再開しようとしたが、想像以上に山が険しく、とても山を越えられそうになかった

【ヤタガラスの導き】

・その日の夜、イワレビコの夢の中にアマテラスが現れ、ヤタガラスを使わして道案内をさせることを伝えた
 → 原文では頭八咫烏(ヤタノカラス)である
・そして、ヤタガラスが天空から駆け下りてきた
イワレビコは部下にヤタガラスの後を追わせ、ついに宇陀(奈良)に達した

【宇陀のエウカシとオトウカシ】

イワレビコは宇陀に入った後、宇陀の首長であったエウカシとオトウカシを呼び寄せた
・しかし、エウカシは現れず、オトウカシはイワレビコに対し、エウカシが反骨心を抱いていることを伝えた
・そのとき、エウカシは密かにイワレビコを仕留めるための罠を張った小屋を製作していたのだった
イワレビコは部下をエウカシの元へ派遣して、心中を確かめさせたが、明らかに反骨心を抱いていることが分かった
・部下は怒ってエウカシの罠を張った小屋に、エウカシを脅し入れ、罠に掛からせてそのまま殺した

【吉野の国津神】

イワレビコは吉野の地を見たいと思い、僅かな兵を率いて吉野へ向かった
・吉野へ向かうと、尾のある国津神・イヒカとイワオシワケ、また魚を取る人・ニエモツの子と出会った

【国見丘のヤソタケル】

イワレビコが高倉山に登って国中を眺めると、国見丘の上に敵であるヤソタケルを発見した
・ヤソタケルは女坂に女軍、男坂に男軍を置き、墨坂に炭火を置いていた
・また、敵対しているエシキノイクサが磐余に大勢滞在していた
・そうした敵軍が進路に陣を張っていたため、皇軍の進軍は難しく、イワレビコは困っていた
イワレビコは、その日に誓約をして眠ると、夢に天津神が現れて神託を下した
 → 天香具山の神社の土を取り、酒杯を80枚作り、酒瓶を造り、天津神・国津神を祀り、強い呪いをかけなさい
 → そうすれば、敵軍は自然と従うだろう
イワレビコはすぐに神託の通りにしようとしたが、天香具山の道のりにも敵が居たため、容易ではなかった
・そこでオトウカシとシイネツヒコを卑しい老夫婦に変装させ、彼らに密かに天香具山の土を持ち帰るように命じた
・変装した彼らは天香具山へ向かったが、敵前を前に怯んでしまい、なかなか足が進まなかった
 → そこでシイネツヒコは誓約し、イワレビコが国を治める天皇であるならば、道は当然通れるであろうと言った
・すると、彼らは敵兵に笑われ、天香具山までのに道が開けた
・彼らは天香具山の土を取り、無事に皇軍の元へ帰還した
イワレビコは喜び、すぐに神託の内容を実行し、その後、自らの命運を占うための誓約をした
 → イワレビコは、酒杯を使って水なしで飴が作れたならば、武力を使わずに天下を治められるだろうと言った
 → すると、飴が自然に出来上がった
 → 次に酒瓶を川に沈め、もし、川の魚が酔っ払って浮いてきたならば、私は必ず国を治めるだろう
 → すると、川の魚が皆浮いてきて、口をパクパクさせていた
イワレビコは誓約が成功したことに喜び、真榊と酒杯を神に祀り、自らタカミムスビを祀った
・その後、皇軍は国見丘でヤソタケルを打ち破り、彼らを斬り殺した
・そこで皇軍は勝利の勢いに乗って歌を歌い、皇軍はさらに勢いに乗って次々と蝦夷との戦に勝利していった

【磯城のエシキとオトシキ】

イワレビコが磯城を攻めようとした時のこと、磯城の首長であるエシキを呼び寄せたが、出て来なかった
・そこでヤタガラスを派遣して、エシキを挑発して誘い出すことにした
・エシキは怒ってヤタガラスに弓を放ち、ヤタガラスを罵った
・次にヤタガラスはエシキの弟・オトシキの家に向かって、オトシキを挑発した
・オトシキは恐れ、すぐにイワレビコに降伏して、兄の計略を暴露した
イワレビコは部下を集めて作戦会議をし、まずは部下とオトシキによって説得することにした
・しかし、従う様子がなかったため、シイネツヒコの武力を用いた計略を実行することにした
・計略は見事に成功し、皇軍はエシキの軍勢を打ち破ることに成功した

【ナガスネヒコとの再戦】

・皇軍は東からナガスネヒコの軍を攻めたが何度戦っても勝つことはできなかった
・そのとき不意に空が暗くなり、冷たい雨や雹が降って来た
・また金色に輝く鵄(トビ)が現れてイワレビコの弓先に止まり、稲光のように凄まじい光を放った
・その光はナガスネヒコ軍の戦意喪失させたので、イワレビコは兄・イツセの恨みを思い出し、歌を歌った
・そのとき、ナガスネヒコはすぐに使者を派遣してイワレビコに尋ねた
 → 昔、ここには天津神の皇子がおり、名はクシタマニギハヤヒと言った
 → クシタマニギハヤヒナガスネヒコの妹を娶り、ウマシマジという
 → 私(ナガスネヒコ)はニギハヤヒに仕えているが、天津神の皇子がなぜ2柱もいるのか?
 → なぜ天津神の皇子と名乗って、他人の国を奪おうとするのか?
 → 貴方(イワレビコ)は、天津神の皇子と偽っているのではないのか?
イワレビコはそれに答えて言った
 → 天津神の皇子は数多くいるが、その皇子(ニギハヤヒ)が本物ならば印を持っているはずだ
 → それを持ってきてここに示せ
ナガスネヒコは すぐにニギハヤヒのアメノハバヤ(矢)とカチユキ(矢筒)を持って、イワレビコに見せた
イワレビコはそれを見てニギハヤヒが本物であることを認めた
・そしてイワレビコはお返しに自分の印を見せた
ナガスネヒコはそれを見て恐れ、イワレビコを畏怖するようになった
・ただ、ナガスネヒコは一度抜いた剣を簡単に収めることができず、皇軍との戦争を続けようとした
ニギハヤヒは、天津神の序列がアマテラスの子孫が優先されることを知っていた
・しかし、それをナガスネヒコに伝えても彼が納得しないだろうということも分かっていた
・そのため、ニギハヤヒナガスネヒコを殺し、戦争を治めた
・そして、国民共々イワレビコに降伏し、大和の政権を明け渡した
イワレビコはその判断を評価し、彼らを褒めてもてなした
イワレビコが大和の政権を握った後もツチグモは従わずに刃向ったため、皇軍は精鋭を集めて彼らを殲滅した
イワレビコは大和一帯を治めた後、橿原宮で帝位に就き、ハツクニシラススメラミコト(日本の初代天皇)となった

一般的に語られる神武東征は主に『日本書紀』の説話です。他の史書と比較する際の基準となっています。

余談ですが、序盤に「天孫降臨より179万2470余年」という意味深な数字が記されます。イワレビコ(神武天皇)は、系譜上では天孫ニニギの曾孫となりますが、それにしては余りにも時代がかけ離れています。

イワレビコの父に当たるウガヤフキアエズの時代は、古史古伝によると72代の王朝が存在し、イワレビコの兄・イツセは一代前の天皇であるとされています。意味深な数字は、暗にこれを示唆しているのでしょうか?


『先代旧事本紀(せんだいきじほんき)』における神武東征

【ニギハヤヒの天孫降臨】

・天祖ニニギが天降る前の話、ニニギの兄であるニギハヤヒが天降ることとなった
 → ニギハヤヒの正式名は天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(アマテル クニテルヒコ アマノホアカリ クシタマニギハヤヒ ノミコト)
・天神の祖神はニギハヤヒに十種神宝を授け、死者蘇生の呪文・布留の言を授けた
・タカミムスビは葦原中国の平定を命じ、32名の従者と数多くの部民を与えて、ニギハヤヒを天降らせた
ニギハヤヒは天磐船に乗り、生駒山に降臨した
ニギハヤヒは、後にナガスネヒコの妹を娶り、ウマシマジを儲けるが生まれる前に崩御した
ニギハヤヒの崩御を聞いたタカミムスビは、それを信じられなかったため、使者を使わして報告させた
・使者がニギハヤヒの死を確認し、それを報告すると、タカミムスビは使者に命じて亡骸を天上に持ち帰らせた
・そして、ニギハヤヒのために7日7夜の葬儀を遊楽して悲しみ、天上で葬った
・後にウマシマジが生まれると、ニギハヤヒは妻に夢の中でウマシマジを形見のように扱うことを命じた
・そして、ニギハヤヒの生前の持ち物はウマシマジに引き継がれた

【東征の開始】

イワレビコが45歳のとき、兄たちと子供を集めて言った
 → 天祖ニニギが天降って179万2470余年になるが、遠くの地では争い事が多い
 → シオツチノオジによれば、東に美しい国があるそうだが、そこには天磐船に乗って降りた者がいるという
 → その土地は、国の中心となりえるため、天下を治めるのに相応しい場所だろうと思う
 → そこに降りた者とはきっとニギハヤヒのことだろう
 → そこで、その土地へ行って都にしようと思う
・皇子たちは、イワレビコに意見に賛同した
イワレビコは皇子たちと先導を連れて東へ向かった
・その途中でウズヒコという国津神と出会い、皇軍を導くために待っていたと言うため、彼に道案内させた
・皇軍は宇佐(大分)に着き、そこで宴会をした
・続いて筑紫に入り、安芸(広島)に滞在し、吉備(岡山)で3年滞在し、船と兵器を造り、食糧を蓄えた
・皇軍はたくさんの船団を率いて難波(大阪)に入り、後に河内(南大阪)へ入った
・皇軍は兵を整え、生駒山を越えて大和へ入ろうとした

【ナガスネヒコとの争い】

・そのとき、ナガスネヒコは皇軍が大和へ入るというの噂を聞いて、国が奪われることを危惧し、兵を整えた
・そこで、ナガスネヒコは孔舍衞坂で皇軍を待ち受け、皇軍がやって来た時に戦争を仕掛けた
・その戦争でイワレビコの兄・イツセはヒジを負傷し、皇軍は進軍を諦めて引き返すことにした
・敗戦後、イワレビコは部下を集めてこう言った
 → 日神の子孫が日に向いて敵に向かうことは天の道に逆らうことである
 → そこで一度退却し、敵を油断させ、神々をよく祀り、背に日神の勢いを背負って、日影が挿すように敵を倒そう
・部下たちはその意見に賛同し、全軍に退却命令を出した

【熊野を迂回して大和を目指す】

・皇軍は紀伊(和歌山)へ迂回し、東から大和を攻めることにした
 → 紀伊国でイツセの傷は酷くなり、イツセは報復できずに死んでしまうことを憂いて雄叫びを上げた後に死んだ
・皇軍は熊野へ入り、天磐盾(神倉山とされる)に登って東を目指した
・その後、船で海路を渡っている時に暴風雨に遭い、兄のイナイとミケイリノはそれぞれ海の彼方へ旅立った
 → イナイは天災に対して怒り、剣を抜いて海に入り、サイモチノカミ(ワニ)となった
 → ミケイリノハも天災に対して怒り、波を踏んで常世の国へ渡った
イワレビコは息子のタギシミミと共に皇軍を率いて熊野荒坂津へ入り、そこでニシキトベという者を殺した
・そのとき神が毒を吐いたため、イワレビコと皇軍は毒に冒され、さらに物も冒されてしまい全てが病んでしまった

【タカクラジの夢と霊剣・フツノミタマ】

・その土地にはタカクラジという者が住んでいた
タカクラジの別名はアマノカグヤマと言い、ニギハヤヒが高天原で儲けたウマジマジの異母兄であった
タカクラジは、ニギハヤヒの天孫降臨の際に共に天降り、熊野に住みついていた
タカクラジは、皇軍が熊野に到着する前に夢の中で天津神に神託を受けていた
・その夢では、アマテラスがタケミカヅチに地上を乱れを正すように命じていた
・タケミカヅチは命令に対して、剣を降ろせば地上は鎮まるだろうと答えた
・そこで、タケミカヅチは霊剣・フツノミタマを地上のタカクラジに預け、これをイワレビコに渡すように命じた
・翌日、タカクラジは倉を覗いてみると、夢で言われたとおりに霊剣が床板に逆さま刺さっていた
タカクラジイワレビコの元へ霊剣・フツノミタマを持って行き、すぐにこれを指し出した
・すると、毒に冒されて寝ていたイワレビコは即座に目覚め、後に兵士たちも全て目を覚ました
・皇軍は早速進軍を再開しようとしたが、想像以上に山が険しく、とても山を越えられそうになかった

【ヤタガラスの導き】

・その日の夜、イワレビコの夢の中にアマテラスが現れ、ヤタガラスを使わして道案内をさせることを伝えた
 → 原文では頭八咫烏(ヤタノカラス)である
・そして、ヤタガラスが天空から駆け下りてきた
イワレビコは部下にヤタガラスの後を追わせ、ついに宇陀(奈良)に達した

【宇陀のエウカシとオトウカシ】

イワレビコは宇陀に入った後、宇陀の首長であったエウカシとオトウカシを呼び寄せた
・しかし、エウカシは現れず、オトウカシはイワレビコに対し、エウカシが反骨心を抱いていることを伝えた
・そのとき、エウカシは密かにイワレビコを仕留めるための罠を張った小屋を製作していたのだった
イワレビコは部下をエウカシの元へ派遣して、心中を確かめさせたが、明らかに反骨心を抱いていることが分かった
・部下は怒ってエウカシの罠を張った小屋に、エウカシを脅し入れ、罠に掛からせてそのまま殺した

【吉野の国津神】

イワレビコは吉野の地を見たいと思い、僅かな兵を率いて吉野へ向かった
・吉野へ向かうと、尾のある国津神・イヒカとイワオシワケ、また魚を取る人・ニエモツの子と出会った

【国見丘のヤソタケル】

イワレビコが高倉山に登って国中を眺めると、国見丘の上に敵であるヤソタケルを発見した
・ヤソタケルは女坂に女軍、男坂に男軍を置き、墨坂に炭火を置いていた
・また、敵対しているエシキノイクサが磐余に大勢滞在していた
・そうした敵軍が進路に陣を張っていたため、皇軍の進軍は難しく、イワレビコは困っていた
イワレビコは、その日に誓約をして眠ると、夢に天津神が現れて神託を下した
 → 天香具山の神社の土を取り、酒杯を80枚作り、酒瓶を造り、天津神・国津神を祀り、強い呪いをかけなさい
 → そうすれば、敵軍は自然と従うだろう
イワレビコはすぐに神託の通りにしようとしたが、天香具山の道のりにも敵が居たため、容易ではなかった
・そこでオトウカシとシイネツヒコを卑しい老夫婦に変装させ、彼らに密かに天香具山の土を持ち帰るように命じた
・変装した彼らは天香具山へ向かったが、敵前を前に怯んでしまい、なかなか足が進まなかった
 → そこでシイネツヒコは誓約し、イワレビコが国を治める天皇であるならば、道は当然通れるであろうと言った
・すると、彼らは敵兵に笑われ、天香具山までのに道が開けた
・彼らは天香具山の土を取り、無事に皇軍の元へ帰還した
イワレビコは喜び、すぐに神託の内容を実行し、その後、自らの命運を占うための誓約をした
 → イワレビコは、酒杯を使って水なしで飴が作れたならば、武力を使わずに天下を治められるだろうと言った
 → すると、飴が自然に出来上がった
 → 次に酒瓶を川に沈め、もし、川の魚が酔っ払って浮いてきたならば、私は必ず国を治めるだろう
 → すると、川の魚が皆浮いてきて、口をパクパクさせていた
イワレビコは誓約が成功したことに喜び、真榊と酒杯を神に祀り、自らタカミムスビを祀った
・その後、皇軍は国見丘でヤソタケルを打ち破り、彼らを斬り殺した
・そこで皇軍は勝利の勢いに乗って歌を歌い、皇軍はさらに勢いに乗って次々と蝦夷との戦に勝利していった

【磯城のエシキとオトシキ】

イワレビコが磯城を攻めようとした時のこと、磯城の首長であるエシキを呼び寄せたが、出て来なかった
・そこでヤタガラスを派遣して、エシキを挑発して誘い出すことにした
・エシキは怒ってヤタガラスに弓を放ち、ヤタガラスを罵った
・次にヤタガラスはエシキの弟・オトシキの家に向かって、オトシキを挑発した
・オトシキは恐れ、すぐにイワレビコに降伏して、兄の計略を暴露した
イワレビコは部下を集めて作戦会議をし、まずは部下とオトシキによって説得することにした
・しかし、従う様子がなかったため、シイネツヒコの武力を用いた計略を実行することにした
・計略は見事に成功し、皇軍はエシキの軍勢を打ち破ることに成功した

【ナガスネヒコとの再戦】

・皇軍は東からナガスネヒコの軍を攻めたが何度戦っても勝つことはできなかった
・そのとき不意に空が暗くなり、冷たい雨や雹が降って来た
・また金色に輝く鵄(トビ)が現れてイワレビコの弓先に止まり、稲光のように凄まじい光を放った
・その光はナガスネヒコ軍の戦意喪失させたので、イワレビコは兄・イツセの恨みを思い出し、歌を歌った
・そのとき、ナガスネヒコはすぐに使者を派遣してイワレビコに尋ねた
 → 昔、ここには天磐船で天降った天津神の皇子がおり、名はクシタマニギハヤヒと言った
 → クシタマニギハヤヒナガスネヒコの妹を娶り、ウマシマジという
 → 私(ナガスネヒコ)はニギハヤヒ、次いでウマシマジに仕えているが、天津神の皇子がなぜ2柱もいるのか?
 → なぜ天津神の皇子と名乗って、他人の国を奪おうとするのか?
 → 私(ナガスネヒコ)は、ニギハヤヒ以外に天津神の皇子が居ると聞いたことがない
 → 貴方(イワレビコ)は、天津神の皇子と偽っているのではないのか?
イワレビコはそれに答えて言った
 → 天津神の皇子は数多くいるが、その皇子(ニギハヤヒ)が本物ならば印を持っているはずだ
 → それを持ってきてここに示せ
ナガスネヒコは すぐにニギハヤヒのアメノハバヤ(矢)とカチユキ(矢筒)を持って、イワレビコに見せた
イワレビコはそれを見てニギハヤヒが本物であることを認めた
・そしてイワレビコはお返しに自分の印を見せた
ナガスネヒコはそれを見て恐れ、イワレビコを畏怖するようになった
・ただ、ナガスネヒコは既に兵器の準備を整えていたため、戦の勢いを治めることができなかった
・また、終戦という考えもなく、それを改める様子もなかった
ウマシマジは、天津神の序列がアマテラスの子孫が優先されることを知っていた
・しかし、それをナガスネヒコに伝えても彼が納得しないだろうということも分かっていた
・そのため、ウマシマジは叔父であるナガスネヒコを殺し、戦争を治めた
・そして、部下たちを率いてイワレビコに降伏し、大和の政権を明け渡した
イワレビコウマシマジの判断を評価し、勲功として霊剣・フツノミタマを与えた
ウマシマジニギハヤヒから受け継いだ十種神宝をイワレビコに献上した
イワレビコは大変喜び、ウマシマジを寵愛するようになった
・そして足尼(すくね)という称号を授け、傍に仕えさせさせるようになった
イワレビコが大和の政権を握った後、皇軍は精鋭を集めて逆賊を殲滅した
・また、ウマシマジも天の物部を逆賊を討ち、天下を平定した様子を奏上した
イワレビコは大和一帯を治めた後、橿原宮で帝位に就いた

『日本書紀』の説話に足りない部分を補足した感じのストーリーになっています。

記紀では省かれるニギハヤヒの出自や、息子であるタカクラジウマシマジの出自について記されます。そのため、初期設定やナガスネヒコとの再戦あたりが、『日本書紀』とは異なるストーリーとなっています。


『古語拾遺(こごしゅうい)』における神武東征

【神武東征の要約】

イワレビコが東征を行う年になって、大伴氏の遠祖のヒノオミは大群を率いて逆賊を斬り払った
・ヒノオミの功績に片を並べる者は無かった
・物部氏の遠祖のニギハヤヒは、敵を殺し、国民を率いて皇軍に帰順した
イワレビコは、ニギハヤヒの忠誠心を褒めて寵愛した

『古語拾遺』自体、歴史書ではなく神道資料であるため、斎部氏の神道に関わる部分のみの記載となっています。

内容は『日本書紀』の説話を基調としていると思われます。


中国の文献における神武東征

『旧唐書(くとうじょ)』における神武東征

『旧唐書』とは、10世紀に編纂された中国の歴史書です。

『旧唐書』東夷伝の中には、日本列島について、「倭国伝」と「日本国伝」の二つが並立しており、日本は倭国の別種で、もともと小国であった日本が倭国を併合したと記述されているそうです。

この記述を神武東征と照らし合わせると、九州にあった日本が、大和にあった倭国を併合したと受け取れます。


『新唐書(しんとうじょ)』における神武東征

『新唐書』とは、11世紀に成立した中国の唐代の正史とされる歴史書です。

『新唐書』でも、日本は古くから中国と交流のあった倭国とは別と捉えられているとされています。また、神武東征について、日本の王の姓は阿毎氏であり、筑紫城にいた神武が大和を征服し天皇となり、600年頃に初めて中国と通じたと記述されているそうです。

これについては、当時の中国側には「壬申の乱」をもって「倭国(天智政権)」が倒されて「日本国(天武政権)」が成立したという見解が存在しており、その見解をそのまま表記したと言う意見もあります。


備考

日ユ同祖論における神武東征

日本とイスラエルの祖先が同じであるとする日ユ同祖論では、神武東征は日本人の始祖が日本列島よりも遥か西の地から出た民族であり、事情により故郷を離れ、安住の地を目指して東方へ移動し、日本に到達したことを暗示するという説が唱えられています。

世界史において、北のイスラエル王国がアッシリアに滅ぼされ、祖国を追われた同国民がどこかに消えたのが西暦紀元前721年であり、その消えた国民が世界史の謎とされるイスラエルの失われた10支族です。

神武天皇の誕生年は紀元前711年とされていますが、イスラエル10支族が失踪したのは紀元前721年と、その差は僅か10年であり、神武天皇=失われたイスラエル10支族を意味し、東征神話=イスラエルから日本へ達した彼らの旅路を示すという説もあります。


旧約聖書との類似性

神武東征と『旧約聖書』の「出エジプト記」~「申命記」までの内容には類似する部分があります。

・目的地が東の「カナン」である
 → 神武天皇は、日向から大和を目指すが東征の最終的な目的地は河内国(河南)である
 → モーセは、エジプトから約束の地であるカナンを目指して進む
・進軍の途中に兄を失う
 → 神武天皇は、東征の途中で兄のイツセを失う
 → モーセは、エジプトからカナンへの旅の途中で兄のアロンを失う
・旅路に案内人がいる
 → 神武天皇はヤタガラスによって導かれる
 → モーセと民はエジプトから出ていく際、雲の柱と火の柱に導かれる
・旅の途中で病に冒されるが、後に回復する
 → 神武天皇は熊野で神の毒に冒され全軍が病に倒れるが、霊剣・フツノミタマにより回復する
 → モーセと民は神の罰で燃える蛇に噛まれ死ぬが、後に神がモーセに作らせた青銅の蛇によって復活する

上記のような類似点が挙げられます。なお、全体的なストーリー性が類似しているように思えます。

ですが、上記の日ユ同祖論とは根本的に意味合いが異なります。



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