大江山(鬼にまつわる伝説の山) [京都府]

京都府の北部にある大江山(おおえやま)です。

与謝野町、福知山市、宮津市にまたがる連山であり、鬼にまつわる伝説で知られています。

そのため、山内には鬼のオブジェが点在しており、山荘や博物館などの施設も整備されています。

また、山の上から雲が海のように見える「雲海」の名所としても有名です。


概要

大江山連峰

大江山(鬼にまつわる伝説の山) [京都府]

大江山は、鍋塚、鳩ヶ峰、千丈ヶ嶽、赤石ヶ岳という峰々からなる連峰であり、全体を大江山連峰と呼ぶとされます。

また、古くから鉱物が豊富な鉱山としても知られており、古代より丹波と交流のあった大陸からの帰化人が、高度な金属精錬技術を以って金工に従事したとされることから、大江山の周辺には金属にまつわる地名が多く残っているそうです。

なお、現在では雲海(うんかい)の名所とされ、毎年秋の早朝には 山腹の鬼嶽稲荷神社からよく見えると言われています。

大江山連峰の各峰

・鍋塚(なべづか):763m
・鳩ヶ峰(はとがみね):746m
・千丈ヶ嶽(せんじょうがたけ):833m
・赤石ヶ岳(あかいしがたけ):736m

鬼退治伝説

大江山(鬼にまつわる伝説の山) [京都府]

大江山には古くから鬼にまつわる伝説があり、「陸耳御笠の伝説」「英胡・軽足・土熊の伝説」「酒呑童子伝説」の3つが有名とされています。なお、いずれも悪事を為して人民を困らせたため、朝廷によって滅ぼされたと云われています。

しかし、大江山が鉱物の豊富な鉱山であり、多くの富を蓄積していたことから、これに目を付けた朝廷が富を奪取するために派兵して支配下に置き、自分達を正当化、美化しようとして、こうした伝説を作ったのではないかとする説もあるようです。

そのことから、居場所を追われた土着民が山賊化し、非道な行為を行った者達を「」と呼んだとも云われています。

アクセス

大江山(鬼にまつわる伝説の山) [京都府]

大江山のアクセスは、公共の交通機関が少ないため、自動車で向かうことが好ましいとされています。

公共の交通機関を使う場合は、京都丹後鉄道の大江駅から町営のバスで向かうことになります。

しかし、このバスは市営の大型バスとは違い、整理券や両替機の無い一般的なワゴン車になっています。

そのため、事前に小銭を用意しておき、バスのルートや時間を確認しておくことが望ましいと思われます。

参考サイト:福知山市のバス交通

大江山の鬼伝説

陸耳御笠の伝説

大江山(鬼にまつわる伝説の山) [京都府]

第10代崇神天皇の御代、陸耳御笠(クガミミノミカサ)匹女(ヒキメ)を首領とする土蜘蛛(つちぐも)が、丹後国の青葉山中に棲みついて人々を苦しめていた。そこで朝廷は、日子坐王(ヒコイマスノキミ)に兵を与えて土蜘蛛の征伐を命じた。

日子坐王率いる官軍は、青葉山から陸耳御笠らを追い落とすことに成功し、追撃して丹後国と若狭国の境に到ると、忽然と鳴動して光輝く巌石を見つけた。その形が金甲(かぶと)に似ていたことから、これを「将軍の甲岩」と名付け、その地を「鳴生(なりう)」と名付けた。

官軍は その後も陸耳御笠らを追って蟻道の郷まで到り、そこで匹女を討ち取った。そのとき、匹女の血で周辺を真っ赤に染めたことから、その地を「血原」と呼ぶようになった。

匹女を失った陸耳御笠は 一度は降伏を考えたものの、川下から日本得魂命(加佐郡一帯の領主)の軍勢が攻めてきた為、たちまち川を越えて逃げようとした。そのとき、官軍は河原に楯を連ねて退路を絶ち、蝗(いなご)が飛ぶ如く矢を射掛けた。

この攻撃によって土蜘蛛の多くを討ち取り、また、舟で川を下って残った土蜘蛛を駆逐した。官軍が川を守ったことから、その地を「川守」と呼び、官軍の駐屯地を「川守楯原」を名付けた。

しかし、首領の陸耳御笠は行方知れずであったため、日子坐王は由良の港で礫(つぶて)を拾い、その行方を占ったところ、与謝の大山に登った事が分かった。そのため、その地を「石占(いしうら)」と名付け、楯原に舟を祀って「舟戸神」と名付けた。

その後、陸耳御笠は丹後を抜けて但馬に到ったが、但馬の鎧浦で日子坐王に討ち取られたという。

英胡・軽足・土熊の伝説

大江山(鬼にまつわる伝説の山) [京都府]

第31代用明天皇の御代、丹後國河守荘三上ヶ嶽(現・大江山)に、英胡(えいこ)軽足(かるあし)土熊(つちぐま)という三鬼が棲んでおり、多くの鬼を従えて悪の限りを尽くしていた。

朝廷は知勇兼備の麻呂子親王(まろこしんのう)を大将軍として、三上ヶ嶽に官軍を派遣した。麻呂子親王は、岩田、河田、久手、公庄の四勇士をはじめ、一万騎からなる大軍を率いて三上ヶ嶽へ攻め入ったが、鬼達は 空を飛んだり、姿を消したり、雨を降らせるなどの妖術を自在に操って対抗したため、官軍は苦戦を強いられた。

麻呂子親王は、鬼の妖術に神仏の加護を以って対抗しようと考え、一旦兵を引かせて、自ら七体の薬師如来像を刻み、「もし、ここで鬼達を討ち果たすことができるならば、この薬師如来像を祀って丹後に七寺を開きます」と誓願し、併せて天照皇大神と天神地祗にも祈願した。

すると、麻呂子親王の前に「額に鏡を付けた白い犬」が現れた。麻呂子親王は、この白犬が神仏の使いであると察し、白犬を先頭に三上ヶ嶽に再び攻め入ると、鏡の光が次々と隠れた鬼の姿を照らし出し、鬼の妖力を悉く封じていった。そして、鏡の力によって身動きが取れなくなった鬼達を、官軍はいとも簡単に攻め滅ぼした。

また、三鬼のうち、土熊だけは生け捕られて、生き残った鬼達とともに命だけは助けて欲しいと懇願したため、麻呂子親王は「薬師如来像を安置する七寺の土地を一夜のうちに開くならば、命だけは助けよう」と申し付けた。

それに喜んだ鬼達は勇んで七寺の土地を開墾すると、丹後半島の先端にある立岩に封じられてしまったという。

酒呑童子伝説

大江山(鬼にまつわる伝説の山) [京都府]

正暦元年(990年)、世は藤原氏の摂関政治の全盛期であったとき、大江山の千丈ヶ嶽に鬼の一味が棲んでいた。

その一味は、頭目に酒呑童子(しゅてんどうじ)、副将に茨木童子(いばらぎどうじ)、そして 熊童子、虎熊童子、星熊童子、金熊童子を四天王とする徒党を組み、都をはじめ、その周辺一帯に出没していた。

ある時、都で池田中納言の娘が浚われる事件が起こったため、一条天皇は源頼光(みなもとのらいこう)に鬼討伐の勅命を下した。頼光は藤原保昌(ふじわらのやすまさ)の助けを借り、また、武勇に優れた頼光四天王(渡辺綱、坂田公時、碓井貞光、卜部季武)を従えて、山伏姿で大江山へと向かった。

その途中、一行は三岳山に登って蔵王権現に願文を捧げ、さらに元伊勢三社(元伊勢神宮・天岩戸神社)へも祈願し、山へと分け入った。そして、険しい谷を抜け、峰を踏みわけ、山内を進んで行き、途中の桜の花の下で休憩することにした。

すると一行の前に三人の翁が現れ、鬼が飲めば神通力を失い、人が飲めば薬となるという「神変鬼毒酒」と「星兜」を授けて姿を消していった。この翁達は、先ほど鬼討伐の祈願を捧げた 住吉、八幡、熊野三神の化身であったという。

一行は、さらに山奥へと分け入ると、血染めの衣を洗う女と出会った。その女は都から浚われて来たと言い、一行を鬼の城まで案内した。城に入った一行が一夜の宿を頼むと、酒宴が開かれることになった。

しかし、山伏一行の正体を疑った酒呑童子は「血の酒」や「腕や股の肉」を差し出して その様子を疑った。一行は正体を見破られまいと、出された食事を食べることにした。

その様子を見た酒呑童子は 一行をすっかり信頼し、自分の不幸な半生を語り始めると、頼光たちは 頃合いを見て 翁からもらった「神変鬼毒酒」を鬼達に振る舞った。それを喜んで飲んだ酒呑童子達は すっかり酔い潰れ、たちまち高いびきをかいて寝入ってしまうと、隙を見た頼光は酒呑童子の首を討ち取った。

すると、童子の首は天に舞い上がり、頼光に噛み付いたが、翁からもらった「星兜」のおかげで難を逃れた。そして、その首を持って めでたく都に凱旋を果たしたという。

大江山の見どころ

酒呑童子の里

大江山(鬼にまつわる伝説の山) [京都府]

大江山の酒呑童子の里です。

酒呑童子の伝説に因んで、多くの鬼のオブジェなどが安置されています。

また、周辺には、山荘、キャンプ場、スポーツ施設なども整備されています。

鬼のモニュメント

大江山(鬼にまつわる伝説の山) [京都府]

大江山にある鬼のモニュメントです。

大江山の酒呑童子の里から、さらに山を登った丘の上に設置されています。

ウルトラマンのデザインした成田亨氏の作品であり、酒呑童子、茨木童子、星熊童子をモデルにしているそうです。

日本の鬼の交流博物館

大江山(鬼にまつわる伝説の山) [京都府]

大江山にある日本の鬼の交流博物館です。

鬼をモチーフにした外観の博物館であり、館内には多くの鬼瓦や鬼面、鬼にまつわる伝説や文献などが紹介されています。

日本の全国から情報を集めているため、鬼を研究するのにうってつけの博物館となっています。

博物館についてはこちらの記事を参照:【日本の鬼の交流博物館】

平成の大鬼

大江山(鬼にまつわる伝説の山) [京都府]

大江山の鬼の交流博物館の前庭にある平成の大鬼です。

全国の鬼師製作の鬼瓦のパーツを集めて作られた 高さ5m、重さ10tの巨大な鬼瓦となっています。

その他の鬼にまつわる伝承地

大江山(鬼にまつわる伝説の山) [京都府]

大江山には、鬼の伝説に因む巨石などが多数点在しています。

・鬼嶽稲荷神社(鬼の洞窟):社伝によれば、土蜘蛛を退治した日子坐王の子・丹波道主命によって建立されたという
・頼光腰かけ岩:酒呑童子討伐に行った源頼光が腰をかけたと云われる巨石
・鬼飛岩(のぞき岩):二瀬川の近くの笏岳頂上付近にある大岩で、ここから鬼が飛び下りたとされる
・鬼の足跡:のぞき岩から鬼が跳んだ時についたとされる

料金: 無料
住所:  京都府与謝郡与謝野町与謝(マップ
営業: 終日開放
交通: 大江駅

公式サイト: http://www.city.fukuchiyama.kyoto.jp/event/ooe/
matapon
著者: matapon Twitter
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。