人文研究見聞録:土師ニサンザイ古墳 [大阪府]

大阪府堺市北区百舌鳥本町にある土師ニサンザイ古墳(はぜにさんざいこふん)です。

反正天皇の空墓として陵墓参考地に治定されている前方後円墳であり、百舌鳥古墳群を構成する古墳の1つになっています。なお、古墳の横には御陵山公園が隣接しています。


概要


土師ニサンザイ古墳は、百舌鳥古墳群の南東端に位置する大型の前方後円墳であり、前方部を西に向け、左右に造り出しがあり、周濠が一重(二重目が一部確認されている)となっているのが特徴で、日本で8番目に大きい古墳とされています。

なお、古墳名の「ニサンザイ(ミサンザイ)」は「ミササギ(陵)」の転訛と考えられており、反正天皇の空墓として陵墓参考地に指定されているため、宮内庁によって管理されています。

土師ニサンザイ古墳のスペック

土師ニサンザイ古墳のスペックは以下の通りです。

古墳総域(外濠を含めた規模)

・東西:約485メートル
・南北:約490メートル

墳丘の規模

・古墳の全長:約300メートル
・後円部直径:約170メートル
・後円部高さ:約24.6メートル
・前方部横幅:約224メートル
・前方部高さ:約25.9メートル

出土品など

・葺石、埴輪が確認されている

反正天皇とは?

人文研究見聞録:土師ニサンザイ古墳 [大阪府]

反正天皇(はんぜいてんのう)は日本の第18代天皇であり、第16代仁徳天皇の第3皇子、第17代履中天皇の弟に当たります。『古事記』によれば「身長が9尺2寸半(約3m)で歯の長さは一寸(3センチ)、広さは2分(4ミリ)、上下の歯は等しく整って珠(タマ)を繋いでいるようだった」という特徴が記されています。

また、兄・履中天皇の命により、皇位を簒奪しようとしていた墨江中王(住吉仲皇子)の誅殺を命じられ、墨江中王の家臣・曾婆訶理(そばかり)を使って誅殺させたものの、後に謀反を恐れて自ら曾婆訶理を斬り捨てたとされます。

皇族は穢れを忌むため、自らの手を汚すことは少ないのですが、禁を犯してしまったためか、反正天皇は在位5年、60歳で崩御するなど、比較的短命な天皇であったとされています。

なお、陵墓については、宮内庁により大阪府堺市堺区北三国ヶ丘町2丁の百舌鳥耳原北陵に治定されています。

料金: 無料
住所: 大阪府堺市北区百舌鳥西之町
交通: なかもず駅(徒歩22分))

公式サイト: http://www.city.sakai.lg.jp/kanko/rekishi/dkofun/database/nisanzai.html
matapon
著者: matapon Twitter
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。