人文研究見聞録:朝倉神社 [高知県]

高知県高知市朝倉にある朝倉神社(あさくらじんじゃ)です。

古代より、社殿背後にそびえる赤鬼山を神体とする磐座信仰の神社であったとされ、飛鳥時代の「白村江の戦い」の折、斉明天皇が神木を使って当地に宮殿を建てたことから神に祟られたという伝説が残っているとされています。

また、毎年11月10日に行われる秋例大祭は、なんもんで踊り、棒振り、神相撲などの伝統芸能が奉納される高知市指定の無形民俗文化財となっています。


神社概要

由緒

人文研究見聞録:朝倉神社 [高知県]
斉明天皇

創祀は不詳とされますが、朝倉神社の由緒として、古くから『日本書紀』の「斉明天皇西征伝説」に比定する説があるとされています(『日本書紀』の「斉明天皇記(斉明天皇7年の条)」に載せられている記事)。

斉明天皇西征伝説

白村江の戦いの折、朝廷は百済救済のために援軍を派遣することに決めた。その際、斉明天皇自ら西征に赴き、畿内から瀬戸内海を経由して、まずは四国へと至った(目標は九州)。

そして、天皇が朝倉宮(朝倉橘廣庭宮)に移られた時、「朝倉社」の木を切って宮を造った。そのため、神(雷神)が怒って御殿を破壊した。なお、そのとき宮殿内に鬼火が現れ、多くの者が病で死んだという。

また、天皇が崩御した際、その夕刻に朝倉山に鬼が大笠を着て現れ、葬儀の様子を覗き見ていたという。

上記の伝説における「朝倉」は定説では福岡県の朝倉であり、「朝倉社」はそこにある麻氐良布神社(まてらふじんじゃ)に比定されています。

ですが、高知の朝倉にも同様の伝説があり、その伝説によれば「朝倉宮は、朝倉神社の後背に聳える赤鬼山(あかぎやま)の木を切ってその山麓に造営された。そして、天皇崩御の後、赤鬼山の神である天津羽羽神を祀る社殿に天皇の霊を合祀した」とされています。

そのため、神社では この伝承を以って創建を斉明天皇7年(661)としており、由緒書では以下のように説明しています。

朝倉神社のあらまし(読みやすいように、やや加筆修正して転載)

朝倉神社は天津羽羽神(アマツハハガミ)天豊財重日足姫天皇(斉明天皇)を祀り、福寿延命の神、文化の神治政の神であります。

上古、社の御山は開発の神である天津羽羽神のヒモロギ(神体山)として、御山全体を崇教の対象として畏敬し、やがて文化に伴い朝日指す南東の麓より拝むべく、現在の所に社殿を建てられたので此の赤鬼山こそ、古代崇教の名残であり、県指定の史跡地で西南隅麓の古墳(朝倉古墳)と共になおざりに出来ない土地柄にあります。

天津羽羽神は古代より此処に鎮座するという国内でも稀な古社であり、後の世の遷座や分霊などではなく、極めて深い由緒を持ち、『土佐国風土記』『日本書紀』などの古典にも載せられ、また『延喜式』神名帳にも国幣として登載された式内社であります。

斉明天皇7年(661)、朝倉宮に行幸され、仮の御殿を丸木で造られたので「木の丸殿」と申されました。御子の天智天皇は「朝倉や 木の丸殿に 我が居れば 名乗りをしつつ 行くはたが子ぞ」と詠まれております。そして、後に天智天皇の勅語によって斉明天皇を朝倉宮(朝倉神社を指す)に併せ祀られたとのことであります。

また、『土佐物語』には「朝倉神社の事」と題して一巻を面白く物語っております。当神社はもとは勅願所であり、当時使用された勅使石は今に残っておりますし、また、国の祈願所で正一位の高加茂大明神「橘の広庭」とも申しました。

また、武家の崇敬も篤く、現在の社殿は土佐藩二代藩主・山内忠義公が明暦4年に造営したものであります。建築は室町時代の手法を含む江戸初期の建物であり、日本古来の様式に唐天竺(中国・インド)の様式を加味して絶頂の技を尽くし、極彩色のところなどでは日光東照宮の例で、その優美さは「馬には目隠しをしなければ、その眩さゆえに驚き、通れなかった」と伝えられ、地方には珍しい模範的建物となっています。なお、昭和24年2月18日に国宝に指定され、同25年8月29日に重要文化財に指定されました。

先賢 谷泰山先生(江戸中期の儒者)は社式考で深く公証され、また、藤原雅澄先生(江戸中期の国学者)は「天津羽羽神 のちはひと千世は へむのむみ 民等の心 足らひに」とその神徳を高く尊く詠まれております。云々

このように、土佐の朝倉にも斉明天皇にまつわる伝説が数多く残されており、かつ、干娜大津・苅谷ヶ崎・橘谷(宮谷)・小屋谷・釣井元・除岩・張規(針木)・小磐嶽などの関連地名が残るほか、朝倉神社の南方の鵜来巣山には斉明天皇の陵があるとも云われています。

赤鬼山

人文研究見聞録:朝倉神社 [高知県]

神社の後背にそびえる山は「赤鬼山(あかぎやま、あかおにやま)」と呼ばれ、古来より朝倉神社の「神体山(神奈備)」また「奥宮」として祀られてきたと云われています。

円錐形を成す高さ約100m(93mとも)の山であり、その姿は奈良県の三輪山に対比されますが、数多くの祭祀遺物が発見されている三輪山に対し、赤鬼山から祭祀遺物は未だ見つかっていないそうです。

しかし、山の中腹からは弥生時代中期の土器が見つかったほか、南麓には古墳時代後期の朝倉古墳があるため、赤鬼山を中心として土着の豪族が勢力を伸ばしたと推測され、高知県指定史跡にも指定されています。

なお、登山口は境内の西方約500mに辺りにあり、山道が舗装されているため体力さえあれば容易に頂上に登ることが可能です。また、山の中腹には墓地などがあり、頂上には「朝倉神社神体山」と記された木柱が建てられています。

また、山名は『日本書紀』にある「斉明天皇の葬儀の際に鬼が大笠を着て現れ、葬儀の様子を覗き見ていた」という伝説に由来するとも、古墳に赤鬼が住んだことに由来するとも云われているようです(詳しくは不明)。

鬼について

鬼の定義には諸説ありますが、『記紀』によれば、古く神代は「天津神に従わなかった者」とされ、神武天皇以降の人代は概ねヤマト王権に対する異民族に当たる「先住民族や渡来人」を指す呼称であったものと思われます。

そのため、斉明天皇の葬儀に現れたとされる「鬼」とは、ヤマト王権に取り入れられていない土着の民族だったものと考えられます。しかし、それがいわゆる人間であったかどうかは定かではありません。

祭神について

主祭神

・天津羽羽神(アマツハハガミ):天石門別(アマトイワトワケ)の子とされ、朝倉郷の開拓神とされる
・天豊財重日足姫天皇(あめとよたからいかしひたらしひめのすめらみこと):第37代斉明天皇の和風諡号

なお、中世における本地仏は阿弥陀仏であったと伝わっているそうです。

また『土佐国風土記(逸文)』によれば、天津羽羽神は天石門別神(天石帆別神)の子にとされ、朝倉郷の開拓神であると伝えられており、元々はこの神のみを奉斎したと考えられているそうです。

斉明天皇については、由緒書では斉明天皇の御子である天智天皇の勅語によって合祀されたとされています。

土佐国風土記(逸文)

土左の郡(こほり)。朝倉の郷(さと)あり。郷の中に社あり。神の名は天津羽々の神なり。天の石帆別(イワホワケ)の神、今の天の石門別(イワトワケ)の神の子なり。

天津羽羽神について

上記のとおり、『土佐国風土記(逸文)』では天石門別(アマトイワトワケ)の子で、朝倉郷の開拓神とされています。

また、古代より神社背後の「赤鬼山」に鎮座したとされ、それに伴って古くから赤鬼山を神体とする磐座信仰で祀られていたとされています。つまり、いわゆる神社の始まる前から祀られていた古代の神であり、その祭祀も古神道に由来するものと考えられます。

なお、神名にある「羽羽(ハハ)」は古くは「」を指す言葉とされており、「日本神話」における大蛇であるヤマタノオロチを斬った剣は「天羽々斬剣(あめのはばきりのつるぎ)」とも呼ばれています。

また、東北を中心に祀られる民間信仰の神に「アラハバキ」という神がおり、一説によれば「アラ(頼れる)、ハバキ(竜であり蛇)」の意であり、母の語源となっているとも云われています。

そのほか、三輪山の大物主(オオモノヌシ)や東国の天津甕星(アマツミカボシ)などにも蛇神説があり、中世には宇賀神(うがしん)という人頭蛇体の神が信仰され、性質の似通った弁財天と習合したとされています。

なお、蛇神を祀る地域は全国に存在し、その祭祀の特徴は古神道に由来するものがほとんどです。そのため、天津羽羽神とは神名や祭祀の形式から、古来より土佐に土着する龍蛇神であると考えられます。

天石門別神とは?

天石門別神(アメノイワトワケ)という神には諸説あり、その定義は以下のようになっています。

・古事記:天孫・邇邇芸命は天孫降臨の際、五伴緒神と共に思兼神・手力男神・天石門別神を従えた
 → 天石門別神の別名を「櫛石窓神」「豊石窓神」といい、御門の神とされる
・古語拾遺:豊磐間戸命と櫛磐間戸命は太玉命の御子神とある。
 →「櫛」とは「奇」の意であり、豊と同じく美称とされ、「窓」は「真門」の意とされる
・延喜式:「御殿の四面の窓」あるいは「門の神」であり、外敵侵入を防塞する機能を持つとされる
・神社祭神:天石屋戸を開けた「手力男神」を天石門別神として祀る神社も多数存在する
・その他:天石門別神は天照大御神が隠れた「天石屋戸」が神格化したものとする説がある

上記から、概ね「天岩戸神話」に関わる神とされ、土佐周辺では「手力男神」と同一視されることが多いようです。

ちなみに、四国の阿波(徳島)に伝わる独自の神話を持つ八倉比売神社では、天石門別神を「櫛岩窓命(クシイワマド)」と「豊岩窓(トヨイワマド)」として祀っています。

境内社

人文研究見聞録:朝倉神社 [高知県]
荒倉神社
人文研究見聞録:朝倉神社 [高知県]
忠魂社
人文研究見聞録:朝倉神社 [高知県]
倉稲神社
人文研究見聞録:朝倉神社 [高知県]
八坂神社

朝倉神社には以下の境内社があります(ただし、祭神は不明)。

境内の見どころ

鳥居群

人文研究見聞録:朝倉神社 [高知県]
縄鳥居
人文研究見聞録:朝倉神社 [高知県]
両部鳥居(奥に明神鳥居)

朝倉神社の参道には、多種多様な鳥居が数基建てられています。

拝殿の注連縄

人文研究見聞録:朝倉神社 [高知県]

朝倉神社の拝殿には、注連縄が一直線に張られています。

五色の幣帛

人文研究見聞録:朝倉神社 [高知県]

朝倉神社の拝殿内には、五色の幣帛が奉納されています。

この色には、何か意味があるのでしょうか?

本殿

人文研究見聞録:朝倉神社 [高知県]

朝倉神社の本殿です。

壁板に色鮮やかな絵画が施されていることが珍しく、国の重要文化財にも指定されています。

・荒倉神社
・忠魂社
・倉稲神社
・八坂神社

料金: 無料
住所: 高知県高知市朝倉丙2100(マップ
営業: 終日開放
交通: 朝倉神社前駅(徒歩2分)

公式サイト: http://asakurajinja.yamanoha.com/
matapon
著者: matapon Twitter
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。