人文研究見聞録:天橋立の伝説(まとめ)

天橋立の由緒にまつわる神話伝承についてまとめました。

天橋立の見どころなどについてはこちらの記事を参照:【天橋立】

天橋立伝説(元伊勢・籠神社)


人文研究見聞録:天橋立の伝説(まとめ)

神代の昔、天に会った男神・伊射奈岐大神(いざなぎのおおかみ)が地上の真名井原(真名井神社)の磐座に祀られていた女神・伊射奈美大神(いざなみのおおかみ)のもとに通うため、天から大きな長い梯子を地上に立てて通われました。

すると、一夜にして梯子が倒れてしまい、それが天橋立となったと伝えられています。

これは人間の心が純朴で素直であった古代には、神と人、天と地上とは互いに往き来でき、天橋立は神と人、男と女とを結ぶ愛の懸け橋と信じられていたのです。

天椅立(丹後国風土記 逸文)


人文研究見聞録:天橋立の伝説(まとめ)

丹後の国の風土記いわく、与謝郡の郡家の東北の方に速石の里がある。この里の海に長く大きな突き出ている部分がある。長さは1229丈、広さは ある所は9丈以下、ある所は10丈以上、20丈以下である。先を天の椅立(あまのはしだて)と名付け、後を久志の浜と名付ける。

これは国生みの大神・伊射奈藝命(いざなぎのみこと)が、天に通う道として椅を作って立てたものである。そのため、天の椅立と云われている。しかし、大神が寝ている間に倒れて伏せたため、久志備(くしび・神異)であると不思議に思い、久志備の浜と名付けた。(以下略)


天の架け橋(宮津市文珠・府中)


人文研究見聞録:天橋立の伝説(まとめ)

遠い神代の昔、日本の国を造りに高天原から伊邪那岐命(イザナギ)が伊邪那美命(イザナミ)がやってきて、天沼矛(アメノヌボコ)で天の浮橋の上から下界のドロをかきまぜ、その矛を引きあげると、その先からしずくが落ち、固まっていまの日本の国ができあがった。

この光景を見ていた高天原の神々は、美しい国ができたと大喜びで「見事な美しい国だ。ぜひとも行ってみたい」と下界の日本の国を見つめていると、ある神様が「降りて行きたいけれど道がない。一つ天御中主神(アメノミナカヌシ)さまに頼んでみよう」と、皆で頼みにいった。

すると、天御中主神は「作ってあげるが本当に必要なときだけ、私ら神だけが使う橋だよ。無茶苦茶に使うとたちまち壊れてしまうからね。」といって、日本の国へ通じる橋をお付けになった。

神々は大いに喜んで、次から次へと下界の日本の国を目指して橋を降りていった。着いたところがいまの宮津市日置と云われている。この日置の辺りにはきれいな娘さんが沢山おり、天からゾロゾロ降りてくる神々を見て「神様たちが来て下さった」と感激。神々もきれいな娘たちを見てニッコリ。すぐ娘たちと仲良しになり色々な話をして楽しんでいた。

すると娘たちは天に突き抜ける橋を見あげて「私たちも一度高天原へ行きたいわ。ぜひ連れていって」とせがみ出し、神々は大弱り。断ってもあまりしつこくせがむので、神々はしかたなく「それなら内緒で連れていってあげよう。だけど絶対声を立ててはダメだよ」と娘たちを連れて橋を昇っていった。

長くて高い橋を昇っていくにしたがって下界が眼下に広がり、言葉ではいい尽くせない美しさ。娘たちはおもわず「ワァきれい」と、感嘆のウズ。神々はもう真っ青。そのうちにガラガラッと大音響とともに橋が崩れはじめ、娘たちは放り出されて散りぢり。もうあの天への掛け橋の姿はなく、その一部が日置の近くに浮いているだけ。

その後、人々は天の掛け橋の一部を「天橋立」と呼ぶようになったという。

九世戸縁起(九世戸・文殊堂)


人文研究見聞録:天橋立の伝説(まとめ)

昔、昔のこと、伊弉諾尊(イザナギ)、伊弉册尊(イザナミ)という二柱の神様が日本の島々を造られていた時代の話。

この神様が地上をご覧になると、荒海の大神がこの地を占領して大暴れしていて、人も住むことができません。

神様たちは毎日相談しました。やがてイザナギの申されますには、何といっても今中国の五台山(ございさん)に居られる文殊菩薩(もんじゅぼさつ)こそ知恵第一の仏様で、昔から龍神の導師である。荒海の大神もきっと改心するであろうと。

そこではじめて五台山より海を越えて文殊菩薩をこの島に請待いたしました。文殊菩薩はこの島で千年の間、説法をされました。龍神みな集まって教えを聞き、すっかり感心して今後は仏法を信じ、人々を護る神々になるように誓いました。そこで天橋の浦を千歳の浦と言い、説法のお経を置いたところを経ヶ岬と言います。

神様方は文殊菩薩の手に持たれている如意(にょい)に乗って海に降りられました。如意が浮かんだのを天の浮橋(あまのうきはし)と言い、着かれた地を宮津と言います。

文殊菩薩は宮津にしばらく住まわれますのに、龍神たちが皆々集まって、菩薩から授かって御弟子になりました。この所を戒岩寺と言います。

如意を海に浮かべた天の浮橋に、龍人が一夜で土を置いて島にしました。この島にまた天人が天降って一夜で千代の姫小松を松明を飛ばして植えました。その内に夜が明けてきましたので、植えるのをやめて火を置いて天に帰りました。火を置いた所を火置(日置)といいます。この島が天橋立です。

天神七代すぎ、地神二代、合わせて九代にできたので、土地の名を九世戸と名付けます。土地は平和になり、人々も住み着くようになりました。

九代をかけてでき上がった天橋立に文殊菩薩をお迎えすることになりました。海には龍神の龍燈、天には天燈が献じられ、人々は海上に松明を照らし、船を出して、文殊菩薩をお迎えしました。

これが今日まで伝わる七月二十四日の出船祭の始まりです。
matapon
著者: matapon Twitter
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。