人文研究見聞録:法隆寺 [奈良県]

奈良県生駒郡斑鳩町にある法隆寺(ほうりゅうじ)です。別名は斑鳩寺(いかるがでら)とも呼ばれています。

聖徳太子によって創建された寺院であり、聖徳太子建立七大寺の一つに数えられています。ただし、創建についての詳しい記録は無く、様々な不思議ないわれも存在します。そのため、有名でありながら、未だに多くの謎に包まれているとされています。

また、多種多様な瓦が見られることも特徴であるため、建築美術を見学したり歴史探訪してみたりと、楽しみ方が色々ある寺院となっています。

法隆寺の謎、建築美術についてはこちらを参照:【法隆寺の謎】【法隆寺の建築美術】


寺院概要

歴史

人文研究見聞録:法隆寺 [奈良県]
境内図

法隆寺の創建年代については不詳であり、『上宮聖徳法王帝説』の記述から推古15年(607年)と考えられています。

また、現存する西院伽藍は聖徳太子在世時のものではなく、7世紀後半~8世紀初頭の建立であることが定説となっており、この伽藍が建つ以前に焼失した前身の寺院(若草伽藍)が存在したことが発掘調査から確認されているんだそうです。

また、通説によれば、推古天皇9年(601年)に聖徳太子は斑鳩の地に斑鳩宮(聖徳太子が住んだ宮殿)を建て、この近くに建てられたのが法隆寺であるとされています。

また、法隆寺付近にある龍田神社の創建伝承によれば、法隆寺は太子は16歳の頃(589年)に創建に着手したと伝えられています(『聖徳太子伝私記』による)。

上記をまとめると、法隆寺の歴史については謎に包まれており、未だによく分かっていないということです。

ただし、西院伽藍は現存する世界最古の木造建築物群であることは事実であり、それを以って1993年に「法隆寺地域の仏教建造物」として世界遺産に登録されています。

本尊

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・釈迦三尊像(しゃかさんぞんぞう):仏教の開祖・釈迦を仏陀として崇めた仏像
 → 光背銘に「623年に聖徳太子の冥福のため止利(鳥仏師)が造った」という旨が記される

境内の見どころ

参道

人文研究見聞録:法隆寺 [奈良県]

法隆寺の参道です。

綺麗に舗装されており、両側には松林が生い茂っています。

南大門(室町時代)

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南大門
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鯛石

法隆寺の南大門(なんだいもん)です。

法隆寺における正面玄関であり、永享10年(1438)に再建されたものなんだそうです。

なお、門の足元には「鯛石(たいいし)」と呼ばれる鯛に似た奇石が設置されています。


伏蔵

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法隆寺の伏蔵(ふくぞう)です。

伏蔵とは地中に埋めてある宝蔵を指し、中庭の一角の四方を竹で囲まれ、注連縄の張られた部分がそれに当たります。

法隆寺に重大な危機が訪れた際、この伏蔵を開いて危機を切り抜けるよう伝えられているそうです。

神道で見られる形で封印されているのが面白いですね。

中門前の手水舎

人文研究見聞録:法隆寺 [奈良県]

法隆寺の中門前の手水舎(ちょうずや)です。

リアルな龍の口から水が出ています(四神の青龍でしょうか?)。

また、瓦には「」があしらわれていることにも注目です。

中門(飛鳥時代)

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中門
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エンタンシスの柱

法隆寺の中門(ちゅうもん)です。

飛鳥時代に建立されたものですが、中門の柱は古代ギリシアのパルテノン神殿に代表される「エンタンシスの柱」であり、かつ、入口の中央に柱が建てられているなど、その建築様式には多くの謎が含まれているとされています。


金剛力士像(奈良時代)

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阿行
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吽行

法隆寺の金剛力士像(こんごうりきしぞう)です。

奈良時代に造られた塑像(そぞう、粘土や石膏を材料として作った像)なんだそうです。

五重塔(飛鳥時代)

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五重塔
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相輪(下の方に鎌が刺さっている)

法隆寺の五重塔(ごじゅうのとう)です。

寺院における塔はストゥーパと呼ばれ、仏舎利(釈迦の遺骨)を奉安するための施設とされており、仏教寺院において最も重要な施設とされています。高さは約32.5mであり、日本最古の五重塔とされているそうです。

なお、塔の外部には、邪鬼が柱を支えているなど細かい装飾にもこだわっている様子が見られ、塔の内部には、奈良時代に造られた塑像群が安置されています。この中の釈迦入滅の場面は必見です(暗くて見づらいですが…)。

ちなみに、法隆寺の五重塔の天辺にある相輪(そうりん)には、鎌が4本刺さっていることが知られています。

金堂(飛鳥時代)

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金堂
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人字形割束(中央)、龍の彫刻(両サイド)

法隆寺の金堂(こんどう)です。

法隆寺の本尊を安置する施設であり、以下の仏像が安置されています。

・釈迦三尊像(飛鳥時代):聖徳太子のために造られたとされる
・金銅薬師如来座像(飛鳥時代):太子の父・用明天皇のために造られたとされる
・金銅阿弥陀如来座像(飛鳥時代):太子の母・穴穂部間人皇后のために造られたとされる
・四天王像(白鳳時代:645~710年):樟で造られた日本最古の四天王像とされる
・木造吉祥天立像(平安時代)
・毘沙門天像(平安時代)

また、天井には天人と鳳凰が飛び交う天蓋(てんがい)が吊るされ、周囲の壁面には仏画(再現)が描かれています。

なお、金堂の外部の二階には「卍崩しの高欄(まんじくずしのこうらん)」や「人字形割束(にんじけいわりづか)」という中国から渡来したとされる木造様式が用いられ、また四方の柱には「登り竜」と「下り龍」が巻き付いているなど、建築の美術的な部分にもこだわっている様子が見受けられます。そのため、こうした部分にも注目ですね。

礼拝石

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五重塔前の礼拝石
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金堂前の礼拝石

法隆寺の礼拝石(らいはいせき)です。

礼拝石とは、そこで礼拝したり、またその石に立ってそこの庭園全体をまず最初に見渡すときなどに使う石のことです。

五重塔と金堂の前に安置されています(この前に建って伽藍を拝むのが良いのでしょうか?)。

桂昌院灯篭(江戸時代)

人文研究見聞録:法隆寺 [奈良県]

法隆寺の桂昌院灯篭(けいしょういんとうろん)です。

この灯篭は、元禄7年(1694)の法隆寺の大修理の際に、五代将軍綱吉の母・桂昌院から多くの寄進を受けたことで建てられたものであるとされています。

そのため、灯篭には徳川家の家紋である「三つ葉葵」と桂昌院の養女先であった本庄家の「九つ目結紋」が刻まれています。

大講堂(平安時代)

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法隆寺の大講堂(だいこうどう)です。

大講堂とは、仏教の学問を研鑽(けんさん)したり、法要を行うことを目的とする施設です。

延長3年(925)年に落雷によって焼失したため、正暦元年(990)に再建されたんだそうです。

なお、中には本尊の薬師三尊像と四天王像が安置されています。

西円堂(鎌倉時代)

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法隆寺の西円堂(さいえんどう)です。

西円堂の創建については、奈良時代の橘夫人(橘三千代)の発願によって建立されたものであると伝えられており、現在のものは鎌倉時代に再建されたものとされています。

堂宇については、八角造りの円堂であり、中には本尊の薬師如来座像(奈良時代)と金剛杵(ヴァジュラ)が祀られています。

また、周囲には鐘楼と小さな滝などがあります。

聖霊院前の手水舎

人文研究見聞録:法隆寺 [奈良県]

法隆寺の聖霊院前の手水舎(ちょうずや)です。

甕に龍のような首が付いており、その口から水が出ています(四神の玄武でしょうか?)。

なお、屋根は瓦では無く檜皮葺となっています。

聖霊院(鎌倉時代)

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法隆寺の聖霊院(しょうりょういん)です。

鎌倉時代以降の太子信仰の高揚に伴い、聖徳太子の尊像(平安末期)を安置するための施設となったんだそうです。

大宝蔵院

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法隆寺の大宝蔵院(だいほうぞういん)です。

数多くの仏像や聖徳太子像のほか、仏画、宝物、法具などが安置されています。

中でも、「玉虫厨子(たまむしのずし)」や百済観音堂の「百済観音(飛鳥時代)」が人気があるとされています。

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玉虫厨子
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百済観音

夢殿前の手水舎

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法隆寺の夢殿前の手水舎(ちょうずや)です。

鳥の口から水が出ています(四神の朱雀でしょうか?)

夢殿(奈良時代)

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夢殿
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秘仏・救世観音像

法隆寺の夢殿(ゆめどの)です。

601年に造営された斑鳩宮跡に、行信僧都という高僧が聖徳太子を偲んで739年に建てた伽藍(上宮王院)の中心に当たる建物であるとされています。

この夢殿には、下記の仏像が安置されています。

・救世観音像(飛鳥時代):聖徳太子等身の秘仏
・聖観音菩薩像(平安時代)
・聖徳太子の孝養像(鎌倉時代)
・乾漆の行信僧都像(奈良時代)
・道詮律師の塑像(平安時代):平安時代に夢殿を修理した僧

舎利殿・絵殿(鎌倉時代)

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法隆寺の舎利殿(しゃりでん)絵殿(えでん)です。

舎利殿は、聖徳太子が2才の春に合掌すると掌中から出現したとされる仏舎利を安置する施設です。

絵殿は、聖徳太子一代の事蹟を描いた障子絵が納められているそうです。

三経院(鎌倉時代)

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法隆寺の三経院(さんきょういん)です。

三経院は、聖徳太子が勝鬘経・維摩経・法華経の三つの経典を注釈した三経義疏にちなんで建てられた施設なんだそうです。

亥之弁才天

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法隆寺の亥之弁才天(いのべんざいてん)です。

弁天池の中心に位置しており、その名から弁天を祀る堂宇であると思われます(詳しくは不明)。

弁天池

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法隆寺の弁天池(べんてんいけ)です。

やや緑掛かった色をした池となっています。

鏡池

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鏡池
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正岡子規の歌碑

法隆寺の鏡池(かがみいけ)です。

聖霊院の前に位置しており、弁天池に比べて非常に澄んだ色をした池となっています。

なお、池の前には「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」という正岡子規の有名な俳句が彫られた歌碑が安置されています。

法隆寺の鬼瓦

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法隆寺の伽藍には多種多様な瓦が使用されています。

特に「鬼瓦」の使用率が高く、あらゆる伽藍に用いられている様子が見受けられます。

ちなみに法隆寺のには雄(オス)雌(メス)があるんだそうです。

また、鬼以外にも「鯱」や「獅子」などの動物、また「桃」や「菊」などの植物などがあります。

法隆寺の鬼瓦についてはこちらを参照:【法隆寺の建築美術】

法隆寺の土壁

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法隆寺の伽藍には概ね土壁が使用されています。

他の寺院では なかなか見られない珍しい光景です。

料金: 五重塔・大宝蔵院・夢殿共通券 一般1,500円、小学生750円、夢殿 300円、他は無料
住所: 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1(マップ
営業: 8:00~17:00(冬季16:30)
交通: 法隆寺駅(徒歩21分)

公式サイト: http://www.horyuji.or.jp/
matapon
著者: matapon Twitter
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。