人文研究見聞録:法輪寺 [奈良県]

奈良県生駒郡斑鳩町にある法輪寺(ほうりんじ)です。

法隆寺北側に位置しており、別名「三井寺(みいでら)」とも呼ばれ、「法林寺」「法琳寺」とも表記するとされます。

法輪寺は創建に関わる史料が乏しいため、創建に関する事情は不明な点が多いとされていますが、発掘調査の結果などから7世紀中頃には存在していたことは間違いないとされています。

また、本尊の薬師如来像と虚空蔵菩薩像は、飛鳥時代末期に遡る古像であるとされているようです。

なお、「三井寺」と言う別名は、法輪寺のある「三井」の地名に由来しており、付近に聖徳太子のゆかりとされる「3つの井戸」があった所から来ていると云われています。


寺院概要

創建について

法輪寺の創建については、正史である『日本書紀』や法隆寺周辺の伽藍にまつわる古文献に記載が無いため、未だに不明な点が多いとされており、現在においては、大きく分けて2つの説が唱えられているようです。

1つ目の説『聖徳太子伝私記』に見えるもので、聖徳太子の長子である山背大兄王が太子の病気平癒を祈るため、推古30年(622年)に建立したとするものです。なお、法輪寺の寺伝においても同様の説が紹介されています。

2つ目の説『上宮聖徳太子伝補闕記』および『聖徳太子伝暦』に見えるもので、法隆寺の焼失後に百済の開法師・円明法師・下氷新物(しもつひのにいもの)の3人が建てたとするものです。

なお、歴史学的な由緒は不明なものの、発掘調査の結果から、法隆寺の再建伽藍に近い瓦とそれより一段階古い瓦が発見され、また、前身建物の遺構とみられる掘立柱穴や溝も検出されていることから、考古学的には飛鳥時代末期から7世紀中頃までに創建されたということが確定的であるとされています。

本尊

・薬師如来(やくしにょらい):東方の浄瑠璃世界の主で、12の誓願を起こし、生ある全てのものを救う仏
 → 本地垂迹説において、スサノオの本地とされた

関連知識

山背大兄王とは?

人文研究見聞録:法輪寺 [奈良県]

山背大兄王(やましろのおおえのおう)とは、『上宮聖徳法王帝説』によれば聖徳太子と刀自古郎女の子であるとされ、太子の子の中で最も有名な人物です。しかし、正史である『日本書紀』にも その名が登場するものの、太子との血縁は具体的に記されていません。

なお、生涯については『日本書紀』にも詳細に書かれており、主に推古天皇が崩御するあたりからの中心人物となります。

『日本書紀』によれば、推古天皇の病死後に皇位継承問題が発生し、山背大兄王を推す境部摩理勢と、田村皇子を推す蘇我蝦夷との間で争いが生じます。その結果、蘇我蝦夷が境部摩理勢を殺害したために山背大兄王は皇位から退き、田村皇子が舒明天皇として即位します。

舒明天皇が崩御した後に山背大兄王が皇位に付く機会が再びやってきますが、蘇我氏の実権が蘇我入鹿に移ったときに、蘇我入鹿はより蘇我氏の意のままになると見られた古人大兄皇子の擁立を企て、その中継ぎとして舒明天皇の皇后である宝皇女を皇極天皇として即位させました。そのため、山背大兄王と蘇我氏の関係は決定的に悪化します。

その後、蘇我入鹿は兵を挙げて斑鳩宮に住む山背大兄王を襲撃し、それに対して山背大兄王側も兵を挙げて応戦するものの、戦況は徐々に悪化していき、結局は斑鳩宮を捨て、家族と家臣数人を連れて生駒山に逃げることとなります。

生駒山にて 家臣の三輪文屋君が「まずは東国に難を避けましょう。そこで軍備を整えれば、この戦に必ず勝てます。」との進言をしますが、山背大兄王は「お前の言う通りにすれば戦に勝つことはできるだろう。しかし、自分の都合で民を戦に巻き込むわけにはいかない。ゆえに この身を入鹿にくれてやろう。」と答え、再び生駒山を下って斑鳩寺に入り、そこで一族もろともに首をくくって自害し、上宮王家はここで絶えることになったとされています。

なお、これをきっかけに「乙巳の変」が起こり、いわゆる「大化の改新」へと続いていくことになります。

上記についての解釈は諸説ありますが、「聖徳太子を筆頭とする上宮王家は一人として帝位に就くことなく、山背大兄王の時代に蘇我氏によって滅ぼされた」ということが、日本史における定説とされています。

妙見信仰について


人文研究見聞録:法輪寺 [奈良県]
妙見菩薩

法輪寺の妙見堂には、北極星を神格化した妙見菩薩(みょうけんぼさつ)を祀っています

この妙見菩薩(北極星)を崇める信仰は「妙見信仰(みょうけんしんこう)」もしくは「北辰信仰(ほくたつしんこう)」と呼ばれており、古くは古代バビロニアに始まり、それがインドを経て、中国で仏教・道教と習合し、仏教と共に日本に伝来したとされています。

なお、妙見菩薩はインド由来の菩薩とは異なり、中国の星宿思想から北極星を神格化したものであるとされているため、大黒天や毘沙門天などと同じ天部(仏教における神)に分類されています。

また、古代中国の思想では北極星天帝(天皇大帝)と見なされ、最も尊いものの象徴とされていたそうです。それに伴い、中世において妙見菩薩を一族の守護神としてきた千葉氏の氏神を祀る千葉神社では、日本神話で最初に現れた最も尊い神である天之御中主神(アメノミナカヌシ)と同一と見なされています。

なお、この妙見信仰は、聖徳太子の抱いていた思想にも共通点があるという説があり、それが四天王寺の伽藍様式に現れているという指摘もあります。これは作家の中山市朗氏の説であるので、詳しくは下記のビデオをご覧ください。


境内の見どころ

山門


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法輪寺の山門です。

三重塔

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法輪寺の三重塔です。

かつては法隆寺法起寺の塔とともに斑鳩三塔と呼ばれ、7世紀末頃の建立と推定される貴重な建造物として国宝に指定されていたそうですが、昭和19年(1944)の落雷で焼失してしまい、それとともに国宝指定も解除となってしまったそうです。

なお、現在の三重塔は、作家の幸田文らの尽力により寄金が集められ、昭和50年(1977)に西岡常一棟梁によって再建されたものであるとされています。

三重塔心礎

人文研究見聞録:法輪寺 [奈良県]

法輪寺の三重塔心礎(複製)です。

なお、本物の旧三重塔心礎は、現在の三重塔にそのまま使用されているそうです。

金堂

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法輪寺の金堂(こんどう)です。

現在の金堂は、宝暦11年(1761)に再建されたものとされています。

講堂(収蔵庫)

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法輪寺の講堂(こうどう)です。

法輪寺の本尊・木造薬師如来坐像をはじめ、ほかの七体の仏像や、出土瓦、伽藍図、塔の模型など公開しています。

妙見堂

人文研究見聞録:法輪寺 [奈良県]

法輪寺の妙見堂(みょうけんどう)です。

星のお堂「妙見堂」と銘打って、星の巡りの中心である北極星を神格化した秘仏・妙見菩薩(みょうけんぼさつ)を祀っています(秘仏であるため基本的に非公開です。写真は公式HPで見ることができます)。

料金: 境内無料(収蔵庫:大人500円、中高生400円、小学生200円)
住所: 奈良県生駒郡斑鳩町三井1570(マップ
営業: 8:00~17:00(冬季16:30)
交通: 法隆寺駅(徒歩32分)、大和小泉駅(徒歩33分)

公式サイト: http://www1.kcn.ne.jp/~horinji/
matapon
著者: matapon Twitter
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。