人文研究見聞録:当麻山 無量光寺 [神奈川県]

神奈川県相模原市にある当麻山無量光寺(たいまさんむりょうこうじ)です。

鎌倉中期に時宗の宗祖・一遍(いっぺん)によって開かれた寺院であるとされています。


寺院概要

縁起

寺伝によれば、弘長元年(1261年)に一遍によって金光院(こんこういん)という草庵が設けられことが起源とされ、その後、嘉元元年(1303年)2月に一遍の弟子である真教が遊行を終えて、無量光寺を創建したとされています。

なお、寺伝にある説話は以下の通りです。

弘長元年(1261年)、諸国遊行の旅をしていた一遍上人(時宗の開祖)が、依知の里の薬師堂(現・瑠璃光寺)に泊って一心に念佛を唱えていた。

すると、真夜中に東の空が急に輝いて妙見菩薩が姿を現し、「貴方が来るのを長らく待っていた。この山は貴方に宿縁のある山であるから、ここで修行をすれば念佛の功徳は四海に及ぶであろう。ゆめゆめ疑うことなかれ」と告げられた。

上人はこの お告げに感激し、夜明けも待たずに相模川を渡り、東北方面の亀形の丘に登ってみると、そこで妙見菩薩の小さな祠を見つけた。このため、上人はここに草庵を結んで金光院と名付け、修行に励んだという。

その後、弘長3年(1263年)に父・河野通廣の訃報を受けて故郷の伊予国に戻り、これ以降は 文永7年(1270年)、弘安4年(1281年)に当山に留まって修行をしたと伝えられている。

弘安5年(1282年)3月、上人は鎌倉方面に向けて旅立つことになり、これを名残を惜しむ弟子や信徒のために、自らの絵姿を描き、自らの頭部を刻んだ像を残したという。

この後、弟子たちも力を合わせて等身大の木像を完成させて上人の御影の像として尊んだ。これが現在の本尊である。

本尊

・木造一遍立像(いっぺんりつぞう):時宗の開祖・一遍の像

一遍とは?

人文研究見聞録:当麻山 無量光寺 [神奈川県]

一遍(いっぺん)とは、鎌倉中期の僧侶で、時宗の開祖であり、諸国を遊行して民衆に踊り念仏(踊りながら太鼓や鉦を打ち鳴らし、念仏を唱えること)を広めたことで知られています。

なお、一遍の略歴は以下の通りです。

・生誕:延応元年(1239年)2月15日、伊予国の武士・河野通廣の次男として誕生(幼名 松寿丸)
・幼少:幼くして母を亡くし、父の奨めによって7歳で伊予国越智郡の得智山に登って縁教律師に仕え、修行に励んだ
・15歳:名を随縁と改めて台教(天台宗の教え)を学ぶ
・18歳:比叡山に登って慈眼僧正の室に入り、三大部及び密灌を受ける
・22歳:兄・通真の死去によって家督相続の争いに巻き込まれたことを契機に益々発心を強め、修行の旅に出る
・26歳:観智上人の下で7年間修行し、名を智真と改める
・37歳:宇佐八幡宮で霊夢を見て回国結願の大願を起こし、諸国を遊行して南無阿弥陀佛の名号の算を配る
・38歳:熊野本宮にて百日参籠に努め、満願の日に熊野権現とまみえて本願・他力について悟り、一遍と名乗って旅立つ
・41歳:信州佐久郡で踊り念佛を始める
・51歳:正応2年(1289年)8月23日、摂津国(兵庫)の観音堂で没する

境内の見どころ

山門

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無量光寺の山門です。

一遍像

人文研究見聞録:当麻山 無量光寺 [神奈川県]

無量光寺の一遍像です。

本堂

人文研究見聞録:当麻山 無量光寺 [神奈川県]

無量光寺の本堂です。

料金: 拝観無料
住所: 神奈川県相模原市南区当麻578(マップ
営業: 終日開放?、無休
交通: 原当麻駅(徒歩15分)

公式サイト: http://www.muryoukouji.or.jp/
matapon
著者: matapon Twitter
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。