人文研究見聞録:清水寺 [京都府]

京都市東山区清水にある清水寺(きよみずでら)です。

奈良末期に延鎮によって開かれた寺院であり、本尊に千手観音菩薩を祀っています。

なお、京都を代表する観光スポットとして有名であり、世界遺産にも登録されています。

そのため、季節を問わず国内外から多くの観光客が訪れている寺院となっています。


神社概要

特徴

人文研究見聞録:清水寺 [京都府]

清水寺は、広隆寺、鞍馬寺などと共に平安遷都以前から存在する古刹であり、珍しい建築方法(本堂舞台の懸造など)が用いられていたり、左右の狛犬が阿形であることや、建物自体が奇妙な造りになっているなど、見どころがとても多いことが特徴です。

また、京都旅行の人気スポットとしても有名であるため、平日でも多くの観光客が訪れており、修学旅行生や外国人観光客の姿なんかも良く見られます。そのため、土・日・祝日および連休時期には、かなり混み合うものと思われます。ですが、開門時間は6:00と早いため、もし人混みを避けたいのであれば早い時間に訪れることをオススメします。

なお、「清水の舞台から飛び降りる」という諺は清水寺の舞台の事を指しており、このような由縁があるとされます。

清水の舞台から飛び降りる

・意味:思い切って大きな決断をする事の喩え
・由縁:清水寺の舞台から飛び降りると"所願成就の時に怪我をせずに済む"または"死んで成仏できる"といわれから
・備考:実際に飛び降りた例は多く、江戸中期の『清水寺成就院日記』によれば234件もあり、死亡者は34人だったとか

由緒

人文研究見聞録:清水寺 [京都府]

清水寺は、奈良末期の宝亀9年(778年)に興福寺の僧であった賢心(後の延鎮上人)によって開創されたと云われています。

なお、清水寺の創建を示す文献はいくつか存在しており、主に以下の物が挙げられているようです。

・『今昔物語集』
・『扶桑略記』
・『清水寺縁起絵巻』
・『群書類従』の『清水寺縁起』(『群書類従』は、古代から江戸初期までの古書の集大成した叢書)

これらの文献から示される清水寺の縁起は、以下のようなものになります。

宝亀9年(778年)に大和国興福寺の僧である賢心(けんしん)が、子嶋寺で修行している際に「木津川の北流に清泉を求めて行け」という霊夢(神仏のお告げがある不思議な夢)を受けた。

賢心が霊夢で告げられた通りに北流に清泉を求めて上って行くと、やがて音羽山麓にある滝に到り、その畔で草庵を結んで滝行を行い、千手観音を念じ続けている行叡居士(ぎょうえいこじ)という白衣の修行者と出会った。

年齢200歳になるという行叡居士は、長年の間 賢心が来るのを待っていたことを告げ、霊木を授けて これで千手観音像を刻んで観音霊地を護持するように遺命を託すと、そのまま去ってしまった(東国に行ったとも)。

賢心は行叡居士が"観音の化身"であったことを悟ると、以後 その遺命を固く守って霊木で千手観音像を刻み、行叡居士の旧庵に安置して観音霊地の山を守ることにした。これが清水寺の始まりである。

その2年後の宝亀11年(780年)坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ)は妻の三善高子の病気平癒のため、薬になる鹿の生き血を求めて音羽山に入り込んだところ、そこで修行中の賢心と出会った。

その際、田村麻呂が賢心に鹿狩りに来た旨を話すと、賢心は観音霊地での殺生を戒め、観世音菩薩の教えを諭した。これに深く感銘を受けた田村麻呂は、賢心が説いた教えを妻室に語り聴かせて共々に仏法に帰依し、観音像を祀るために自邸を本堂として寄進して本尊に十一面千手観世音菩薩像を安置した。

なお、後に征夷大将軍となった田村麻呂が東国の蝦夷平定を命じられた際には、観音菩薩が遣わした若武者(毘沙門天の化身)と老僧(地蔵菩薩の化身)の加勢を得て戦に勝利し、無事に凱旋を果たした。そのため、延暦17年(798年)に田村麻呂は延鎮(賢心)と協力して本堂を大改築し、毘沙門天と地蔵菩薩の像を造って観音像の脇侍として祀ったという。

本尊

清水寺の本尊は以下の通りです。

本堂本尊

・千手観音立像:33年に1度 開扉の秘仏とされる

奥の院本尊

・千手観音坐像:秘仏であり、重要文化財に指定されている

境内の見どころ(無料ゾーン)

参道

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清水寺の参道です。

長い坂道となっており、その両脇に茶店やお土産屋が並んでいます。

また、人力車に乗って観光することも可能です。

善光寺堂(地蔵院善光寺堂)

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清水寺の善光寺堂(ぜんこうじどう)です。

洛陽三十三所観音霊場の第10番札所になっており、本尊に如意輪観世音菩薩を祀っています。

首振地蔵

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清水寺の首振地蔵(くびふりじぞう)です。

善光寺堂の前に位置しており、首を回すことが出来る仕様になっています。

好きな人が住む方向に首を向けて祈願すると、願いが叶うという俗説があるようです。

北総門

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清水寺の北総門です。

江戸初期に再建された薬医門であり、国の重要文化財に指定されています。

鎮守堂(春日社)

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清水寺の鎮守堂(春日社)です。

春日大社の春日大明神を勧請して祀った鎮守堂であり、室町後期に再建されたものとされます。

馬駐

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清水寺の馬駐(うまとどめ)です。

仁王門付近に位置しており、中に付けられた鐶が逆付きになっている箇所が見られます。

阿形の狛犬

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清水寺の狛犬です。

狛犬は通常では左右が阿吽(口を開けたものと閉じたもの)に分かれますが、清水寺では両方阿形になっています。

これは一説には「釈迦の教えを大声で世に知らしめているもの」と言われているそうです。

ちなみに、嵯峨にある車折神社にも両方阿形の狛犬が存在しています。

仁王門(目隠し門)

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清水寺の仁王門です。

この門で視界を遮られて仏堂が見えなくなることから、目隠し門とも呼ばれているそうです。

また、他の寺院と比べて、仁王像自体も大変見え辛くなっています。

仁王門の腰貫

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清水寺の仁王門の腰貫は、指で突くと反対に音が伝わるようになっています。

このことから、カンカン貫とも呼ばれているそうです(同様の物が轟門にもある)。

虎の石灯篭

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清水寺の虎の石灯篭です。

この石灯篭には「夜な夜な灯籠から抜け出して池の水を飲みに行く」という言い伝えがあるとされています。

また、「八方睨みの虎」とも云われ、どこからでも目線が合うようになっています。

三重塔

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清水寺の三重塔です。

寛永9年(1632年)に再建されたものであり、国の重要文化財に指定されています。

三重塔の鬼瓦

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清水寺の三重塔の鬼瓦は、東南の一箇所だけ龍の形になっています(他は鬼となっている)。

鐘楼

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清水寺の鐘楼(しょうろう)です。

室町後期に建造されたものであり、国の重要文化財に指定されています。

なお、通常4本柱で構成されるところ、6本柱で構成されていることが珍しいとされます。

西門

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清水寺の西門(さいもん)です。

寛永8年(1631年)に建立されたものであり、国の重要文化財に指定されています。

石灯籠

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清水寺の石灯籠です。

この中に見える観音像は、平景清(藤原景清)が爪で刻んだものと云われています。

なお、この話は「景清が清水寺に潜伏中に刻んだ」または「牢獄の中で刻んだ」という説があるようです。

経堂

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清水寺の経堂です。

天井には墨絵の円龍が描かれており、その龍が夜な夜な音羽の滝の水を飲むために抜け出すと云われているそうです。

田村堂(開山堂)

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清水寺の田村堂です。

内部には、坂上田村麻呂夫妻像のほか、行叡と延鎮の像が安置されているそうです(通常非公開)。

梟の手水鉢

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清水寺の梟の手水鉢(ふくろうのちょうずばち)です。

足元の台石に梟が刻まれていることから、この名で呼ばれています(非常に見えにくい位置にある)。

また、この手水鉢の水で口を濯ぐと、頭痛や歯痛が治ると云われているそうです。

轟橋

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清水寺の轟橋(とどろきばし)です。

水が通っても無いのに橋が掛かっていないことが不思議とされています。

また、橋周辺の石が"歯"、木の橋板が"舌"を表しており、歯痛の人が渡ると治らないとも云われるそうです。

轟門

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清水寺の轟門(とどろきもん)です。

門なのに扉が無いことが不思議とされています。

なお、この門より先は有料ゾーンとなっています。

本堂舞台下

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清水寺の本堂舞台下です。

釘を使わずに柱と梁を硬く組み合わせて固定した「懸造(かけづくり)」という構造で造られています。

阿弖流為・母禮の碑

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清水寺の阿弖流為・母禮の碑(あてるい・もれのひ)です。

阿弖流為(アテルイ)母禮(モレ)とは、胆沢(現・岩手県奥州市)を拠点としていた蝦夷の指導者のことであり、平安初期の朝廷による東北平定政策に対抗して交戦を繰り返し、最終的に征夷大将軍である坂上田村麻呂の軍門に下ったとされています。

蝦夷の降伏後、田村麻呂は2人の助命を提言したものの、平安京の貴族たちの反対によって許されずに処刑されてしまったそうです。そうした歴史を踏まえて、平成6年(1994年)に有志によって建てられた石碑であるとされています。

音羽の滝

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清水寺の音羽の滝(おとわのたき)です。

古来より「黄金水」「延命水」と呼ばれた清水であり、六根清浄や諸願成受就を祈願してきたとされています。現在では三つの滝のそれぞれに「学業成就」「恋愛成就」「延命長寿」の御利益があるとされ、柄杓で水を汲んで飲むと御利益があるそうです(持ち帰りも可能とされる)。

ただし、"一口で飲まないと御利益が薄れる"また"別の滝の水を飲むと御利益が無くなる"などという云われもあるとされており、欲張ると御利益を受けることが出来ないという説もあるようです。

また、水源の牛尾山で大蛇退治が行われた時には、水が真っ赤に染まったという伝説もあるとされています。

子安塔

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清水寺の子安塔(こやすのとう)です。

本堂から南の少々離れた位置に建っている塔であり、国の重要文化財に指定されています。

塔内には子安観音(千手観音)が祀られており、その名前の通りに安産の御利益があるとされているそうです。

境内の見どころ(有料ゾーン)

朝倉堂

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清水寺の朝倉堂(あさくらどう)です。

室町後期に朝倉貞景が「法華三昧堂」として寄進したものとされ、国の重要文化財に指定されています。

弁慶の足形石

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清水寺の弁慶の足形石です。

本堂の舞台の入口付近に安置されている足形の付いた石で、本来は仏足石(釈迦の足跡の付いた石)だったとされます。

また、弁慶の他にも平影清の足形石という伝承もあるようです。

地主神社

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清水寺の境内にある地主神社(じしゅじんじゃ)です。

江戸時代までは清水寺の鎮守社であったものが、明治の神仏分離令によって独立したとされています。

現在では、主祭神の大国主命を縁結びの神様として、女性やカップルの人気のスポットとなっているようです。

なお、神社自体の入場料は必要ありませんが、清水寺の本堂を通り抜ける入場料が必要になります。

本堂(清水の舞台)

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清水寺の本堂です。

徳川3代将軍の家光の寄進によって寛永10年(1633年)に再建されたものであり、国宝に指定されています。

なお、奥の院から望む風景が、絶好の撮影スポットとして知られています。

弁慶の鉄杖と鉄下駄

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清水寺の弁慶の鉄杖と鉄下駄です。

弁慶の使った鉄杖と鉄下駄だと伝えられており、観光客の人気のスポットとなっています。

なお、観音様の御利益で目の怪我を治したという鍛冶屋が、お礼として寄進したものであるとも云われているようです。

弁慶の指跡

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清水寺の弁慶の指跡です。

本堂の床面を支える木材の側面に付いた溝のことを指し、弁慶が指で彫ったものであると伝えられています。

また、昔 電灯の無かった時代に夜な夜な清水寺に参拝した人たちが、暗い夜道の中で目印として指で辿ったものであるとも云われており、「堂々めぐり」という言葉の発祥であるという説もあるようです。

釈迦堂

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清水寺の釈迦堂(しゃかどう)です。本尊に釈迦三尊像が祀られています。

なお、建物は寛永8年(1631年)に再建されたものであり、国の重要文化財に指定されています。

阿弥陀堂

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清水寺の阿弥陀堂(あみだどう)です。本尊に阿弥陀如来像が祀られています。

なお、建物は寛永年間に再建されたものであり、国の重要文化財に指定されています。

奥の院

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清水寺の奥の院です。

本尊の千手観音菩薩をはじめ、地蔵菩薩・毘沙門天、二十八部衆、風神・雷神、弘法大師の像が安置されています。

なお、建物は寛永10年(1633年)に再建されたものであり、国の重要文化財に指定されています。

料金: 基本無料(有料ゾーンは高校以上400円、中学以下200円)
住所: 京都府京都市東山区清水一丁目294(マップ
営業: 6:00~17:30(18:00・18:30)※時期によって異なる(詳細は公式HPを参照)
交通: 京都バス 五条下車(徒歩10分)、清水五条駅(徒歩22分)

公式サイト: http://www.kiyomizudera.or.jp/index.html
matapon
著者: matapon Twitter
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。