人文研究見聞録:蘇我入鹿首塚 [奈良県]

奈良県の明日香村にある蘇我入鹿首塚(そがのいるかのくびづか)です。

飛鳥寺付近の田園地帯に建つ五輪塔であり、飛鳥時代の「乙巳の変(いっしのへん)」の際に刎ねられた蘇我入鹿の首がここまで飛んで来たという伝説が伝えられています。

なお、入鹿が謀殺されたという飛鳥板蓋宮は当地より約600~650mほど離れた場所にあり、その超人的な飛翔力から祟りが畏れられたため、首塚が建てられたそうです。


概要

蘇我入鹿とは?

人文研究見聞録:蘇我入鹿首塚 [奈良県]

蘇我入鹿(そがのいるか)とは、飛鳥時代の豪族である蘇我氏出身の政治家であり、皇極天皇の時代には大臣である父・蘇我蝦夷(そがのえみし)を凌ぐ能力を備えていたため、自ら国政を執ったとされます。

なお、蘇我氏(そがし)は成務天皇の時代より大臣を務めた武内宿禰(たけうちのすくね)の後裔であり、入鹿の祖父・蘇我馬子の時代に仏教の可否を巡って生じた「丁未の乱」にて排仏派の物部氏を倒したことから、朝廷にて急激に勢力を伸ばしたとされています。

そのため、父・蘇我蝦夷の時代には朝廷において権力を私有化するようになったとされ、自分たちの墓を造るために国民や豪族の私有民を動員したり、子を王子(みこ)と呼ばせ、入鹿に独断で冠位十二階で最高位の紫冠(しかん)を与えて大臣のようにしたなど、専横な政治が目立つようになったとされます。

加えて、蝦夷は聖徳太子の子とされる山背大兄王(やましろのおおえのおう)の即位を阻止し、入鹿は兵を挙げて斑鳩の山背大兄王に襲撃をかけて最終的に自決に追い込み、上宮王家一族(聖徳太子の一族)を滅亡させたとされています。

そうした蘇我氏の専横政治に対し、中大兄皇子(後の天智天皇)・中臣鎌足(後の藤原鎌足)は密かに入鹿暗殺計画を立て、宮中で行われる三国の調の儀式に合わせて蘇我入鹿を暗殺し、蘇我蝦夷を自決に追い込んだとされます(乙巳の変)。

この政変によって蘇我蝦夷・入鹿の父子を中心とする蘇我本宗家が滅亡し、その後、中大兄皇子・中臣鎌足を中心に体制が刷新されて いわゆる「大化の改新」が成し遂げられたとされています。

上記のことは『日本書紀』に記されており、これらのことから日本史では蘇我氏は逆賊と位置付けられています。

しかし、蘇我入鹿は非常に優れた能力を持ち、『藤氏家伝』によれば旻法師に絶賛されたとされています。また、『日本書紀』にも「父・蝦夷を威を凌ぎ、それによって盗賊でさえ道の落とし物すら拾わなくなった」と記されています。

そのため、後世の入鹿の評価には「蘇我入鹿は実際は優秀な政治家であったが、政争に負けたために逆賊と位置付けられた」とする意見もあり、蘇我氏の地元である橿原市周辺では未だに崇敬を集めているとも云われています。

また、日本史には優秀すぎるために周囲から疎まれ、孤立に追い込まれた人達(菅原道真など)が多数いますが、もしかすると蘇我入鹿も そうした人物の一人だったのかもしれません。

蘇我入鹿の首の伝説

「乙巳の変」で刎ねられた蘇我入鹿の首には、遠くまで飛んで行ったという伝説がいくつかあります(以下まとめ)。

明日香村の蘇我入鹿首塚

人文研究見聞録:蘇我入鹿首塚 [奈良県]

明日香村の蘇我入鹿首塚には「乙巳の変」で斬られた入鹿の首がここまで飛んで来たという伝説があります。

なお、斬られた入鹿の首が鎌足を追いかけたため、鎌足は多武峰まで逃げたという伝説もあるとされ、その供養のために五輪塔が建てられたとも云われています。また、入鹿の首は飛鳥寺に飛んできたという伝説もあるそうです。

明日香村の茂古森(もうこのもり)

人文研究見聞録:蘇我入鹿首塚 [奈良県]

「乙巳の変」で斬られた入鹿の首は鎌足を追いかけて、細川の上流にある「茂古森(もうこのもり)」まで到ったという伝説があるそうです。なお、その場所は明日香村上(石舞台古墳の東)にあり、そこには気都和既神社(きわつきじんじゃ)が鎮座しています。

また、「茂古森(もうこのもり)」という名は、入鹿の首に追われた中臣鎌足がここまで逃げて来た時に「もう追って来ぬだろう」と言ったことに由来するとされているそうです。

橿原市曽我町のおつて家

人文研究見聞録:蘇我入鹿首塚 [奈良県]

橿原市曽我町に伝わる伝承によれば、中臣鎌足よって刎ねられた入鹿の首は、曽我町の東端に位置する「首落橋」の付近にある家に落ちたとされ、入鹿の首が落ちたことから その家を「おつて屋(オツテ屋、オツタ屋、オツト屋とも)」と呼ぶようになったとされています。

なお、かつては「おつて家」の横を小川が流れており、そこには「首落ち橋」と呼ばれる橋があったんだそうです。また、曽我町には蘇我氏の邸宅があったとされており、町内には蘇我馬子が創建したとされる宗我坐宗我都比古神社(そがにいますそがつひこじんじゃ)も鎮座しています。

橿原市小綱町の入鹿神社

人文研究見聞録:蘇我入鹿首塚 [奈良県]

橿原市小綱町にある入鹿神社は「乙巳の変」で刎ねられた入鹿の首が小綱町まで飛んで来たため、その首を祀ったことに始まるとされています。なお、現在は蘇我入鹿とスサノオの木像を御神体として祀っているそうです。

また、小綱町はかつて蘇我一族の領地であり、入鹿神社あたりに幼少期の入鹿の住居があり(入鹿の母が身を寄せた家があったとも)、入鹿はそこで育ったとも云われています。

入鹿神社について詳しくはこちらの記事を参照:【入鹿神社】

三重県松阪市舟戸の蘇我入鹿の首塚

人文研究見聞録:蘇我入鹿首塚 [奈良県]

三重県松阪市飯高町舟戸にも蘇我入鹿の首塚があります。伝承によれば、「乙巳の変」の後、高見山まで飛んで来た入鹿の首がここで力尽きて落ちたため、五輪塔を建ててその首を祀ったと云われています。

そのため、地元では高見山に登る際、政敵・中臣鎌足を彷彿とさせる鎌を持って登ることは禁じられており、もし禁を破って鎌を持っていくと必ず怪我をすると云われ、反面、五輪塔を参拝すると頭痛が治るとも云われているそうです。

料金: 無料
住所: 奈良県高市郡明日香村飛鳥
営業: 終日開放
交通: 岡寺駅(徒歩34分)、奈良交通バス岡寺前行「飛鳥大仏」下車

公式サイト: http://asukamura.com/?page_id=2455
matapon
著者: matapon Twitter
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。