人文研究見聞録:大山積神社(石手) [愛媛県]

愛媛県松山市石手にある大山積神社(おおやまつみじんじゃ)です。

石手寺の裏に鎮座する小さな神社であり、鎌倉中期に起こった元寇(弘安の役)の際、伊予の武将・河野通有(こうのみちあり)大山積神(三嶋大明神)に敵国降伏を祈願して創建した神社であるとされています。


神社概要

由緒

人文研究見聞録:大山積神社(石手) [愛媛県]
河野通有

由緒書によれば、鎌倉中期(1274年)10月に第一次蒙古襲来が起こり、亀山上皇は伊勢神宮に勅使を送って敵国降伏を祈願させ、上皇自身も筑前、博多の筥崎宮(筥崎八幡宮)に祈願したとされます。

また、伊予の武将・河野通有(こうのみちあり)も敵国降伏のために大三島の大山祇神社(愛媛県今治市)に祈願し、大山積神の分霊を請けて、弘安2年(1279年)に石手村に大山積神社を創建したとされています(ただし、配祀神の熊野皇大神は、寛平4年(892年)に河野息方(こうのやすかた)が勧請したとされており、大山積神社の創建よりも時代が遡ります。)。

なお、弘安4年(1281年)の蒙古襲来(弘安の役)の際に河野通有が奮戦したことは史上有名とされています。

祭神

大山積神社の祭神は以下の通りです。

主祭神

・大山積神(オオヤマツミ):大山祇神社の主祭神
・高龗神(タカオカミ):雨を司る水神(龍神とも)
・雷神(イカズチノカミ)

配祀

・熊野皇大神
・熊野三社神:熊野三山の神
・加具土神(カグツチ):火の神
・伊弉冊神(イザナギ):国産みの神(男神)
・菊里姫神(キクリヒメ):「イザナギの黄泉国訪問」に登場する神
・事解男神(トサカノヲ):「イザナギの黄泉国訪問」に登場する神

蒙古襲来(文永の役・弘安の役)について

人文研究見聞録:大山積神社(石手) [愛媛県]

蒙古襲来(もうこしゅうらい)とは、鎌倉中期に元(モンゴル帝国)およびその属国(高麗・旧南宋)によって行われた日本侵攻のことであり、一般的には元寇(げんこう)の名で知られます。

なお、侵攻は二度にわたって行われ、一度目を文永の役(1274年)、二度目を弘安の役(1281年)と言います。また、文永の役・弘文の役を要約すると、以下のようになります。

文永の役

文永5年(1268年)、元の皇帝・フビライが日本に高麗の使節を送って蒙古への服属を要求したが、時の執権・北条時宗は使節の首を刎ねてそれを拒否、すると元は実力行使で日本侵攻を計画し、蒙古襲来に至った。

文永11年(1274年)、元・高麗軍3万が博多湾に上陸し、日本軍と激突した。その際、集団戦法やてつはう(火薬)を以って戦う元・高麗軍に対し、日本軍は騎馬武者による一騎打ちで対応したが苦戦を極めた。

すると、そこに暴風雨が直撃して元・高麗軍は退却、それによって日本は難を逃れた。

元・高麗軍の退却後、日本は敵国に対して、異国警固番役(九州の御家人に課した軍役)、元寇防塁(上陸させないための石塁)、長門探題(長門国に設置した最前線防衛機関)などの対策を以ってそれに備えた。

一方、元はその間に南宋を征服し、次回の日本侵略のための兵を集めた。

弘文の役

弘安4年(1281年)、元は元・高麗軍4万、旧・南宋軍10万、計14万の軍勢を以って日本侵略を図った。しかし、元による征服を以って招集された旧・南宋軍は、内部分裂による諸問題も伴って士気は高まらなかったという。

一方、日本は叡尊(えいそん)石清水八幡宮で尊勝陀羅尼を読誦させ、亀山上皇筥崎宮にて敵国降伏を祈願した。すると、再び暴風雨が元軍を襲い、それによって元軍は退却を余儀なくされ、日本の勝利に終わった。

なお、日本軍は暴風雨が元軍を襲った際に逃げ込む場所が鷹島であると予見しており、鷹島掃討戦では予め鷹島に配備されていた日本軍によって退却してきた元軍が撃滅されたとも云われる。

また、二度にわたって日本を救った暴風雨は「神風」とされ、それによって「神国思想」が誕生した。

なお、神社の由緒に記される河野通有の奮戦とは、弘安の役における「博多湾進入」の際、対馬・壱岐を占領して博多湾に現れた元軍に対し、元寇防塁(石塁)を背に陣を張って元軍を迎え撃とうとしたことを指し、後に「河野の後築地(うしろついじ)」と呼ばれ称賛されたとされています。

ちなみに、『八幡愚童訓』に記される文永の役の戦況には、以下のように記されています。

蒙古襲来と白装束の30人

元軍に追い詰められた日本軍が逃げ去った夕暮れ時、八幡神の化身と思われる白装束30人ほどが出火した筥崎宮より飛び出して、矢先を揃えて元軍に矢を射掛けた。

恐れ慄いた元軍は松原の陣を放棄し、海に逃げ出したところ、海から不可思議な火が燃え巡り、その中から八幡神を顕現したと思われる兵船2艘が突如現れて元軍に襲い掛かり、元軍を皆討ち取った。

また、たまたま沖に逃れた軍船は大風に吹きつけられて敗走した。

『八幡愚童訓』は八幡神の霊験・神徳を説いた寺社縁起とされますが、蒙古襲来から日本を救った白装束の30人(八幡神)の話には、なかなか興味をそそる魅力がありますね。

なお、蒙古襲来における解説は以下のビデオの内容を参考にしました(ビデオの方が分かりやすいかもしれません)。


境内の見どころ

本殿

人文研究見聞録:大山積神社(石手) [愛媛県]

大山積神社の本殿です。

境内社

人文研究見聞録:大山積神社(石手) [愛媛県]

大山積神社の境内社です(祭神は不明)。

料金: 無料
住所: 愛媛県松山市石手2丁目10-6(マップ
営業: 終日開放
交通: 道後温泉駅(徒歩19分)、伊予鉄バス「石手寺前」下車
matapon
著者: matapon Twitter
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。