人文研究見聞録:明日香の弥勒石 [奈良県]

奈良県の明日香村にある弥勒石(みろくいし)です。

飛鳥地方の謎の石造物の一つであり、その中でも人型で一際大きなものとなっています。


概要

弥勒石とは?


人文研究見聞録:明日香の弥勒石 [奈良県]
御堂に納められた弥勒石
人文研究見聞録:明日香の弥勒石 [奈良県]
奉納された草鞋

弥勒石(みろくいし)とは、奈良県明日香村にある高さ約2.5mの人型の石造物であり、飛鳥の謎の石造物の一つに数えられています。現在は御堂に納められて祀られており、周囲には草鞋(わらじ)が奉納されています。

制作年代や目的・用途などは不明とされていますが、一説に"条里制の標石であった"と言われているようです。また、"拝むと下半身の病気に御利益がある"とも"目の不自由な人などの信仰対象である"とも言われています。

なお、案内板による解説は以下の通りです。

「弥勒石(Mirokuishi Stone)」


この「弥勒石」は、真神原の西を流れる飛鳥川の右岸に位置する石柱状の巨石である。石には仏顔面もほとんどないが、わずかに目と口とみられる部分が細工されているだけである。

弥勒石を拝むと下半身の病気が治るという言い伝えがあり、今も地元や周辺の人々の信仰を集めるとともに、「ミロクさん」と呼ばれている。

毎年旧暦8月5日に飛鳥大字がお祭りを行っています。

弥勒石の特徴


人文研究見聞録:明日香の弥勒石 [奈良県]

弥勒石の特徴は以下の通りです。

・高さ約2.5m程度で、花崗岩で造られていると思われる
・人型と見られるが、主に頭と胴体のみが模られている
・顔の部分に、やや目と口のような加工が見られる(一つ目にも見える)
・御堂で祀られており、草鞋が奉納されている(下半身の病気に御利益があるとされる)
・「弥勒石」という名の由来は不明(具体的な記録はない)

備考

同名のもの(その他の弥勒石)


人文研究見聞録:明日香の弥勒石 [奈良県]
高野山の弥勒石
人文研究見聞録:明日香の弥勒石 [奈良県]
銘菓みろく石

和歌山県の高野山には「弥勒石」と同名の石、および、同名の和菓子があります。

弥勒石(石)高野山奥之院(弘法大師廟)の付近の御堂に納められている(御廟橋の先)
みろく石(和菓子)高野山名物の和菓子(高野山の弥勒石に因んでいる)

弥勒とは?


人文研究見聞録:明日香の弥勒石 [奈良県]
弥勒菩薩交脚像

弥勒(みろく)とは、主に仏教における"弥勒菩薩"を指すものとされています。

弥勒菩薩(みろくぼさつ)とは、現在仏であるゴータマ・ブッダ(釈迦牟尼仏)の次にブッダとなることが約束された菩薩(修行者)であり、ゴータマの入滅後56億7千万年後の未来に この世に現われ、多くの人々を救済する未来仏とされています。

日本への伝播については、『日本書紀』に「聖徳太子が、所持していた"尊い仏像"を礼拝する者を求めていたところ、秦河勝が申し出て蜂岡寺(広隆寺)を造って祀った」とあり、広隆寺の本尊が弥勒菩薩であることから飛鳥時代には伝わっていたものと考えられます(『聖徳太子伝暦』によれば、敏達天皇13年に百済から持ち帰られたとある)。

また、法隆寺に接して建っている中宮寺の本尊は、寺伝では如意輪観音とされますが、弥勒菩薩であるということが通説となっており、飛鳥時代の造立であるとされています。

こうしたことから、弥勒菩薩は古墳末期~飛鳥初期には既に日本に伝わっていたものと思われます。

弥勒菩薩のタイプ


人文研究見聞録:弥勒菩薩
弥勒菩薩(広隆寺)
人文研究見聞録:弥勒菩薩
弥勒菩薩(中宮寺)
人文研究見聞録:弥勒菩薩
弥勒菩薩(光孝寺)

日本における弥勒菩薩は主に広隆寺と中宮寺の像が有名であるため、イメージ的にスマートな姿が定着しています。

一方、中国における弥勒菩薩は"布袋(ほてい)"の姿で現わされるのが一般的とされます。これは布袋が"弥勒の化身"であり、"下生(この世に現れた)した弥勒如来"であるとされることに由来しているそうです。

また、国内でも沖縄における弥勒信仰は"ミルク神"という布袋に酷似する神を祀る信仰であり、どちらかと言えば中国よりの弥勒となっていることが分かります。

明日香の弥勒石も、風貌でいえば中国や沖縄の"布袋の姿の弥勒菩薩"に似ているような気がしますね。

弥勒信仰との関係


人文研究見聞録:明日香の弥勒石 [奈良県]
明日香の弥勒石
人文研究見聞録:布袋
布袋(四天王寺)
人文研究見聞録:ミルク神
ミルク神

明日香の弥勒石は、"弥勒という名が付いている""どことなく布袋に似ている"という点から、背景に弥勒信仰があるものと思われます。しかし、草鞋が奉納されていることについては謎です。

そこで、弥勒と草鞋というキーワードで情報収集をしてみると、以下のような説話を発見しました。

趙漢俊弥勒伝説


その昔、趙漢俊なる者が村に橋が無いことを愁え、全財産を投じて石橋を架けた。この後、工事を終えて残った7文ばかりの財産を使い、一足の草鞋を買って旅に出たという。

この漢俊が死んで三日目、空から「趙漢俊が弥勒となって出世するからよくこれを祀れよ」という声がしたため、村人が声のする方角に行くと、一座の石仏が地中から出現していた。

(中略)

その後、明の皇帝に一女が生まれたが、その背中に趙漢俊の名があったため、化物として殺されてしまったという。

もし漢俊が、7文を使って草鞋を買わなかったならば明の皇太子に生まれ変わったのに、7文を使ってしまったばかりに皇女に生まれてしまい惨殺されたという話である。

参考文献:宮田登著『ミロク信仰の研究』

この説話が弥勒石と関係するかは分かりませんが、とてもよく似た内容のような気がします。この説話は朝鮮に伝わる弥勒伝説とされますが、もしかしたら朝鮮との国交が盛んであった飛鳥時代に伝わったものなのかもしれません。

料金: 無料
住所: 奈良県高市郡明日香村岡(マップ
営業: 終日開放
交通: 岡寺駅(徒歩31分、バスまたはレンタサイクル推奨)
matapon
著者: matapon Twitter
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。