人文研究見聞録:菅原院天満宮神社 [京都府]

京都府京都市上京区にある菅原院天満宮神社(すがわらいんてんまんぐうじんじゃ)です。

菅原氏の邸宅跡に建てられた天満宮であり、学問の神として知られる菅原道真公の生誕地の一つとされています。

なお、末社の梅丸社には「平癒石」と呼ばれる癌封じの石があることでも知られています。


神社概要

由緒

平安時代、当地には菅原氏の邸宅である「菅原院」があったとされ、菅原道真公をはじめ、父・是善、祖父・清公の三代が居住していたとされています。また、道真公の生誕の地とも伝えられているそうです。

なお、道真公は藤原時平の讒言によって大宰府に左遷となり、帰京することなく当地で没したとされ、道真公の死後に京で天変地異が多発したとされています。そこで、道真公を供養するために当地に「歓喜光寺」が建立され、その境内には道真公と是善、清公を祀る小祠も建てられたそうです。

その後、歓喜光寺が六条河原院に移転して小祠だけが残されることになり、後に社殿を建立して主祭神に道真公を祀り、相殿に是善、清公を祀って現在に至るとされています。

祭神

人文研究見聞録:菅原院天満宮神社 [京都府]
菅原道真
人文研究見聞録:菅原院天満宮神社 [京都府]
菅原是善
人文研究見聞録:菅原院天満宮神社 [京都府]
菅原清公

菅原院天満宮神社の祭神は以下の通りです。

主祭神

菅原道真(すがわらのみちざね)平安中期の政治家(死後、天満天神として信仰される)

相殿神

・菅原是善(すがわらのこれよし):平安前期の文人・公家(道真公の父)
・菅原清公(すがわらのきよきみ):平安初期の文人・公家(道真公の祖父)

境内社

人文研究見聞録:菅原院天満宮神社 [京都府]
梅丸社・和融稲荷社
人文研究見聞録:菅原院天満宮神社 [京都府]
九頭竜社・戸隠社
人文研究見聞録:菅原院天満宮神社 [京都府]
天道大日如来社

菅原院天満宮神社の境内社は以下の通りです。

・梅丸社:梅丸大明神を祀る(癌封じの石・平癒石も祀る)
・和融稲荷社(わゆういなりしゃ):稲荷大神を祀る
・戸隠社:戸隠大神(天手力男命)を祀る(歯痛をはじめ口腔関係の病封じに霊験あり)
・九頭竜社:九頭竜大神を祀る(雨乞いに霊験あり)
・天道大日如来社:大日如来を祀る
・地蔵社:地蔵菩薩を祀る

関連知識

菅原道真とは?

人文研究見聞録:菅原道真公とは?

菅原道真(すがわらのみちざね)とは、平安時代の貴族であり、学者、漢詩人、政治家などの側面を持つ人物として知られています。生前の官位は従二位・右大臣であり、没後、太政大臣の位が追贈されました。

忠臣として名高く、宇多天皇に重用されて寛平の治(かんぴょうのち)を支えた一人であり、醍醐朝では右大臣にまで出世しましたが、時の左大臣、藤原時平の讒訴(ざんそ)によって、冤罪で大宰府に左遷され、帰京することもなく現地で没します。

死後、京の都では天変地異が多発したことから、朝廷に祟りを成したとされ、道真の怨霊を鎮めるべく「天満天神」として神格化され、以後、信仰の対象となりました。なお、現在は「学問の神」として親しまれています。

なお、菅原道真の生涯を簡単にまとめると以下の様になります。

・京都の菅原邸で誕生する(通説)
・学者の家柄で育ち、幼少より詩歌に才を見せたとされる
・18歳の時、文章生となり、以後、学者として出世する
・33歳の時、文章博士に任ぜられる(東大の学長にあたる役職)
・42歳の時、文章博士を解任、四国・讃岐守を任ぜられる(香川県知事にあたる)
・44歳の時、阿衡事件(政治紛争)に際し、藤原基経に意見書を送って事件を収める
・46歳の時、讃岐守の任期満了により帰京し、宇多天皇に重用される
・47歳の時、宇多天皇の秘書官長に当たる蔵人頭に任命される
 → 以後、9つの要職を歴任し、異例の出世を遂げる
・50歳の時、遣唐大使に任ぜられ、遣唐使の停止を進言する
 → 以後、遣唐使の廃止が決定する
 → 以降、税制改革をはじめとする様々な政治改革を行ったとされる
 → 道真の中央集権的な政策に対し、藤原家をはじめとする貴族によって反発が顕著になる
・55歳の時、右大臣に転任し、右大将を兼任する
・57歳の時、藤原時平の虚偽の告発により、九州・大宰府に罪人として左遷される(昌泰の変)
・59歳の時、大宰府にて薨去する

詳しくはこちらの記事を参照:【菅原道真(天神様)とは?】

道真公の生誕について

当地は道真公の生誕地として伝えられ、境内には道真公の産湯井が残されています。

ただし、道真公の生誕地とする場所は他にもあり、大きく分けて京都説・奈良説・滋賀説・島根説があるとされます。

また、突然現れて是善の養子となったという伝説もあるそうです。それらの説を以下にまとめたいと思います。

・道真は是善邸南庭に5・6歳の幼児の姿で現れ「私には父母がいないのでそなたを父にしたい」と言ったため、後に是善の養子となった(北野天神縁起)
・吉祥院天満宮は道真の生誕の地と伝えられ、18歳まで当地で過ごしたという(吉祥院天満宮)
・是善が出雲にある先祖の野見宿禰の墓参りをした際、案内してくれた現地の娘を大層寵愛したとされ、そこで生まれたのが道真だという(菅原天満宮・松江市)
・奈良市の菅原町は道真の母の故郷であるとされ、道真も当地で誕生したという(喜光寺・奈良市)
・吉野の菅生寺は、道真が生まれ育った場所であるが故に菅生寺と称するという(菅生寺・吉野郡)
・道真は菊石姫とともに天女から産まれ、天女が天に帰ってしまったことから母恋しさに法華経のような泣き声で泣いていたところ、菅山寺の僧・尊元阿闍梨が引き取り養育し、後に菅原是善の養子となった(余呉湖の羽衣伝説)
・長男次男を幼くして相次いで亡くした是善は、臣下の島田忠臣に命じ、豊受大神宮の神官・度会春彦を通じて豊受大御神に祈願すると道真が誕生したという

境内の見どころ

手水舎

人文研究見聞録:菅原院天満宮神社 [京都府]

菅原院天満宮神社の手水舎です。

天満宮ゆかりの臥牛像の口から水が出ています。

本殿

人文研究見聞録:菅原院天満宮神社 [京都府]

菅原院天満宮神社の本殿です。

菅公御産湯の井

人文研究見聞録:菅原院天満宮神社 [京都府]

菅原院天満宮神社の菅公御産湯の井です。

道真公の誕生時に使った産湯井とされています。

産湯の井戸水

人文研究見聞録:菅原院天満宮神社 [京都府]

菅原院天満宮神社の産湯の井戸水です。

井戸水は飲むことができ、また持ち帰ることも可能です(冬でも暖かい)。

平癒石

人文研究見聞録:菅原院天満宮神社 [京都府]

梅丸社にある平癒石(へいゆせき)です。

癌封じの石とも云われ、拝礼後に手で石を撫でて、身体の悪いところを摩ると病気が治るそうです。

また、癌だけでなく、腫れ物や皮膚病などにも霊験あらたかとされています。

料金: 無料
住所: 京都府京都市上京区烏丸通下立売下る堀松町408
営業: 7:00~19:00、無休
交通: 丸太町駅(徒歩5分)
matapon
著者: matapon Twitter
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。